沖縄県名護市辺野古沖で同志社国際高校の修学旅行中に船が転覆し、生徒一人が死亡し、多くの高校生が負傷したことは周知の事実だ。この件について、保守派の政治家からのコメントが寄せられており、政治問題化の様相を呈している。大阪府の吉村知事(日本維新の会代表)も見解を発表した。
4月16日の読売新聞地方版に、吉村知事が「学校行事は中立的にやっていくのが当たり前」との考えを述べた上で、「政治的主張のもとに、安全性が本当に配慮されていたのかどうか分析しないといけない」と強調した。この件について、熱心に取り上げている産経新聞のネット記事には、「吉村氏は平和学習の在り方について『平和を守るということは大切だが、特に修学旅行については政治的思想を持ち込むべきではない』と指摘。『今回の活動についても、政治的思想はないのか、誰が主体になっているのか、誰が運営しているのか、背景に何があるのか。そういったことはきちんと調べるべきだ』と訴えた。」と紹介されている。
何か違和感を持ってしまう。今回の辺野古の事故を起こした船の所有者は、基地建設反対の活動をしている人たちである。そういう事情から、吉村知事が言うように「今回の活動についても、政治的思想はないのか、誰が主体になっているのか、誰が運営しているのか、背景に何があるのか。」という「眼鏡」を通して物事を考えるという事になるのだろう。だが、吉村知事のような視点では、違う視点からまた政治的中立性を損なう可能性が生まれる。
名古屋大学大学院の内田教授が指摘しているように、今回の事故で第一に検証されなければならないのは、「安全性の確保」がどこまでなされていたのかという点だ。この点において、このプランは「学校独自の企画」として、旅行会社が関わっていなかった。よって安全確保という点において、素人の判断で行ってしまうリスクが存在したという点が最も大きい問題である。もし、旅行会社が関わっていたら、海上運送法の許可を得ていない2隻の船を使用することはなかっただろう。教員が同船していなかったことも問題視されているが、海の上での教員の判断というのは素人同然であり、大きな問題ではない。例えば、多くの修学旅行で行われているラフティングにおいて、例えばボートが転覆し、岩場に生徒が激突した事故が起こったとしよう。この場合、その転覆したボートに教員が乗っていなかったことが問題になるだろうか。もし問題になるようなら、ラフティングのような企画は成立しなくなる。
さて、平和学習の問題だ。私は、平和学習はどんどん行うべきだし、今回の普天間飛行場の移設工事について、学習の課題にすることについても反対ではない。まさに、今の沖縄問題の最前線の課題であるからだ。探究学習では、オーセンティックな学習が求められ、ホンモノに出会う、ホンモノから学ぶことはとても重要だからだ。
だが、この基地建設は、様々な政治的要素が絡んでいる。教育的課題として取り上げるならば、かなり慎重にならなければならない。ただ、消極的という意味ではない。この基地問題に絡む様々な立場の意見を学習する必要があるという事だ。私が、この基地問題を修学旅行で取り上げるとすれば、相当念入りに事前学習を企画する。沖縄の歴史は当然の事であり、地上戦が行われた沖縄戦、米軍基地問題、国際情勢、様々な角度からの学習が必要だ。そうした学習を積み上げた上で、「現場を見る」という事になる。それも、基地建設賛成・反対・どちらでもないという三者の話を聞く企画をする。それほど念入りに学習をしなければ、沖縄の人達に失礼である。
ところが、亡くなった生徒の父親が発信しているnoteには、「沖縄美ら海水族館に行く前にボートでサンゴ礁を見るという認識だった」としている。それならば、この企画を学校は何のために企画したのかと問われるだろう。あまりにも安易だ。
この同志社国際高校の辺野古転覆事故については、
1)安全性の確保の問題
2)平和学習の中身の問題
3)教育的政治的中立性問題
の3点から検証を進めなければならない。
このことに加えて、吉村知事も言及しているように、私立学校の所轄である都道府県がどれだけ私立学校の教育内容を把握・監督・指導しているのかという点が、大きな問題だ。私立学校法に問題はないのか、許認可は都道府県にあるが、教育内容についてもっと関与する必要があるのではないかなど、検討が必要である。

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