5月29日の「教育の政治的中立性を認定するのは、だれなのか?」に続いて、妹尾氏が5月30日に「辺野古事故、文科省の教育基本法違反認定、なぜ学校は委縮するのか?何を守りたいのか?」というタイトルで続編を寄稿された。楽しみにしていたので、コメントをしたい。氏の寄稿文は、下記のURLに掲載されている。
まず、妹尾氏は、「結論を先に申し上げると、文科省は平和学習を否定しているものではないし、学校・教師には教育内容を決める際の一定の裁量があることは法的にも認められていることなので、萎縮する必要はない。とはいえ、なぜ、これほど萎縮する、萎縮すると言われるのか。」と述べ、「萎縮する必要はない」と述べている。まったく同感だ。
その上で、なぜこれほど「萎縮、萎縮といわれるのか」と問題提起している。私の認識では、「萎縮」を叫んでいるのは、政党で言えば立憲民主党から共産党、全教という共産党系の教職員組合、朝日新聞、毎日新聞、左派系言論人、左派系研究者だと見ている。土曜日の朝日放送の「正義のミカタ」でもこの問題を大きく取り上げ、元朝日新聞記者の今野氏、中央大学の野村教授が鋭く問題に切り込んでいた。放送の内容については、全く同感である。その中で、高橋洋一氏がおもしろいコメントをしていた。「この問題は、リトマス試験紙のようだ」というのである。つまり、この文科省の判断に異を唱えるか、賛同するかで、迷惑な左派系かそうでないかが分かれるというのだ。言われてみれば、学校現場の教師が「萎縮、萎縮」と叫んで抗議している話はあまり聞かない。叫んでいるのは、左派系の組織・個人である。
ただ、きちんと言っておかなければならないのは、東京大の斎藤氏は、自分を左派、辺野古基地建設も反対と表明したうえで、「辺野古の抗議船に乗せるべきではなかった」と理性的な判断をしている。こういう左派の人がいると、日本の左翼運動についても信頼が広がるというものだ。彼がドイツでマルクス主義を研究した影響なのか、日本の左翼「小児病」的影響を受けていないのかどうかわからないが、信頼を置ける人である。
話を元に戻そう。更に妹尾氏が「萎縮」を懸念するのは、保護者を含むステイクホルダーの関与である。保護者の中にも左派系の人もいれば、右派系の人もいる。そういう人たちが、クレームめいた要望を修学旅行の内容に対して言ってくれば、妹尾氏の言うように確かに面倒だし、無難な内容にしようというベクトルが学校現場に働くかもしれない。妹尾氏の「正論を述べるなら、学校側は保護者等に修学旅行等のプログラムの趣旨や特色、極端に偏った見方を強いるものではないことを説明できるなら、萎縮も遠慮もする必要はない。」という意見に全く同感だ。
私が懸念するのは、この正論を堂々と学校現場が述べることができるのかということだ。こと教育に関わることだから、正論を述べれば良いのだが、教師、特に管理職の中には、その勇気が足りない人がいるのも事実だ。本来は、勇気をもって対処してほしいのだが、根性がいるのだろう。私が校長なら信念を持って対処しようと思うのだが、どうも「事なかれ主義」に流れる学校現場もある。
しかし、もう一度文科省の見解を読み直してほしい。文科省は、簡単に言えば、右にも左にも偏るなと言っているわけで、多面的・多角的な意見を生徒に教えることが必要と言っている。この見解は、学校を本当に勇気づけるものだ。つまり、今回のように修学旅行の内容に問題があれば、「左」「右」から企画をやめろ(逆に〇〇を行え)と言われても、学校としては、ニュートラルな立場で、様々な意見を生徒に提供していると跳ね返せばよいわけだ。あとは、学校にその根性があるかどうかということだろう。
最後に妹尾氏は、「とはいえ、繰り返すが、本件が一方的な観念の教授に当たるようなものだったのかどうかは論争的である。また、その可能性が高いと仮定した場合でも、国家権力が評価、認定するものなのかどうか。国が認定するとしても、今回の文科省の影響が今後どうなるのかなど、検討課題は多い。」と述べ、この問題の大きさを指摘している。この教育基本法違反が裁判になれば、司法の場で判断が下されることになる。学校法人同志社は現時点で争う姿勢は示していない。この研修旅行の企画を推進し、亡くなった金井船長と関係が深い教師たちが、「どこがおかしいのか!」と裁判を起こしたら、また話は違う局面になる。
この研修の企画を推進した教師たちが今、この文科省の見解をどう受け止めているのか、今後の動きを見てみたい。

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