4月5日の読売新聞31面に、大きな見出しで「いじめ動画拡散 正義か」「『第三者の制裁不適切』専門家」という記事が掲載されていた。この間、いじめや暴力に関する動画が、数多くSNS上に投稿されたことに関する記事だ。この動画の投稿について、国際大の山口真一教授は、「拡散してしまう人の大半は面白半分ではなく、正しいことをしていると考えているようだが・・・」と指摘している。
動画拡散が正義であるという意識を持ってしまう背景には、学校不信・教育委員会不信があるのではないかと、いじめの解決を支援するNPO法人「ユース・ガーディアン」(東京)の阿部代表は指摘している。確かにそうだろう。いじめや暴力に関して、きちんとした対応をしていない学校や教育委員会は未だに少なくない。事件の記事を読んでいても、首を傾げたくなる対応が散見されるのも事実なのだ。
また、動画が投稿されたことによって、いじめや暴力の事案が表沙汰になり、警察が動き出し、加害者が書類送検されるということも実際にある。そうなれば、益々「動画投稿は正義」ということになる。記事にも掲載されているように、被害者ならいざ知らず、第三者が加害者と思われる人物をSNS上にさらすことは、少年法に抵触するのだ。当然のことだと思うのだが、なぜこれほど投稿がやまず、また拡散するのかと思う。
私が思うに、この投稿・拡散という気持ちの中には、「必殺仕事人」の思考回路があるのだろう。ご存じのように、この「必殺シリーズ」は、世の中の悪人により被害を被った弱い人たちが、自分では復讐ができないために金で仕置きを依頼し、仕事人が見事に復讐を成し遂げるというドラマだ。今の世の中、仕事人の元締めも仕事人もいないが、誰しもが仕返しの手段を手に入れてしまった。それが、SNSであり、インターネットなのだ。世の中に悪行を働いた人物を晒すことにより、お仕置きをするという発想である。奉行所に訴えてもきちんと取り上げてくれないから仕事人に頼むというのは、まさに学校や教育委員会がきちんと対応しないから、SNSに晒すという構図とまるで一緒である。晒した方も間違った「正義感」が満たされるのであろう。
このようなSNSの投稿が広がるのも、世の中「悪い奴ほどはびこる」という風潮があるからだ。いじめ問題も、いつもいじめを受けた側が学校を転校したり、不登校になったりと、被害を被ってしまう。いじめ防止対策法も、もっと加害者側とその保護者に厳格に対応するように法改正をすべきではないだろうか。まずは、校長の判断ではなく、首長の判断として加害者側の出席停止を行い、改善が見られない場合は転校させるなどの権限を首長に与えるということだ。首長は選挙で選ばれる。いじめにきちんと対応しない首長となれば、次回の選挙で落選ということもありうる。一方、校長は法に抵触するようなことを行わなければ、首にはならない。いじめの加害者に出席停止をしなかったからといって、首にはならないのだ。
法律が制定されてもいじめは一向に無くならない。もう見直す時期ではないだろうか。

コメントを残す