仕事場は朝日新聞を購読しているので、6月9日の新聞をめくってみた。そうすると、10面の「声」の蘭に、元高校教員 宇都宮 貞文という人の投稿が掲載されていた。見出しは「萎縮せず現地で考える教育貴重」というものだ。
この宇都宮さんの年代になると、安保世代であるようだ。「安保世代にそだって、放課後にも話し合いを重ねた我々と異なり、全体として最近の若者は政治への関心が薄いように思われる」と述べている。実際、若者の投票率は低いので、関心が薄いかもしれない。
宇都宮さんは、次のように述べている。
「既に萎縮した現在の教育現場にあっては、現実に直面する問題を話し合い、考えを深めようとする姿勢は、大変に貴重なものである。」とし、「今回の出来事を教育の方向づけや現場の萎縮に利用することは、やめて頂きたい」と述べている。
なぜ、このような言い方になるのか。いつ、文科省は「萎縮」する方向で話をしたのか。宇都宮さんももう一度、松本文科大臣の発言を読むべきだ。この「国が言うから萎縮する」という発想は、左翼崩れの人に本当に多い。文科大臣は、「多面的・多角的に取り上げる」ことを推奨しているのだ。だから、辺野古に学ぶことを否定しているのではない。他の意見も学ぶことも必要だと言っている。こんな意見をわざわざ「国民の声」として、掲載する朝日新聞は、余程今回の文科省の見解を「学校現場を委縮させる」と批判したいのだろう。
「萎縮」と考えるならそれはそれでいい。だったら、マスメディアとして、「学校現場が萎縮しないように、沖縄の基地の問題、平和教育の問題をどのように取り上げるのが良いか」を提案すべきだ。おそらく、朝日新聞はできないだろう。そんな企画や記事を書いたら、ヘリ基地反対協議会よりの内容ではなく、賛成派の意見、第三者の住民の意見も取り上げなければならないからだ。そのことは、朝日新聞としてはヘリ基地反対という左翼の立場ではなくなるのでできないのだ。だから文科省を批判して、「萎縮」「萎縮」と叫ぶしかない。なんと内容の無いマスメディアか。情けない限りである。

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