英語教育におけるAIの利用


 7月5日、読売新聞の社説に「英語の学びは教員と子供で」というタイトルで社説が掲載された。AIの普及により英語を学ばなくても意思疎通ができるのではないかという考えが広がり、「なぜ英語を学ぶ必要があるのか」と疑問を持つ子供がいるという。文科省は中教審の専門部会に外国語を学ぶ意義を再定義し、AIの適切な活用を初めて盛り込んだ。
このことに関して、「なぜこれほど前のめりになるのか」と疑問を呈したのが、この社説である。

 文科省のとりまとめ案では、児童生徒の発信力向上などを目指して、発音練習や英会話の相手、英作文の添削に利用することを想定している。社説では、有効な面を認めながらも、指導要領に明記してしまえば、教員に積極的な利用を促すメッセージとなり、AIを使うこと自体が目的化し、教育効果を考えずに多用する状況が生まれないか心配だとしている。

 確かに社説の指摘は想定される。元々教員は、自分の頭で考えることが苦手な人が多く、創造力に難がある。その最たる例が「総合的な学習の時間」が導入された時期で、教員は教授より授業のサポートと言われれば、学校現場で多くの教師が教授することを軽視した授業を実践してしまった。右と言えば極端に右へ、左と言えば極度に左へ行ってしまい、自らの頭の中で学習指導要領を消化し、今までの教育理論と折り合いをつけながら実践するという事が苦手なのである。不易流行という言葉があるが、不易と流行に折り合いを付けて、新しい価値を産み出すのはまさに創造力が必要なのである。

 ただ、新しいテクノロジーであるAIは、今後の世の中では必須アイテムとなるだろう。教育の世界にも入り込んでくるのは確実だ。AIに依拠する大人を育てるのか、AIを使いこなす大人を育てるのか、AIは今後の教育のあり方を大きく変える可能性が高い。

 文科省のように前のめりになることを戒めながら、読売新聞のようにブレーキだけをかけてもだめだ。それこそ、不易流行を実践しなければならない。この課題はとてつもなく大きい。デジタル教科書の中教審での審議では、賛成派ばかりが委員となり、ろくに議論もされずにデジタル教科書の導入が決定した。今になって、どのように導入するのかというガイドラインを議論している。本末転倒だろう。
 AIに関する議論は、教育関係の研究者はもちろん、それこそ脳科学者、心理学者も含んだ広範囲な議論が必要だ。文科省だけではなく、政府の国家的プロジェクトとしてAIの学校現場への導入を議論すべきではないだろうか。


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