救えぬ命ー読売新聞 不誠実な学校対応の原因


 11月11日に続きの「下」が掲載されることを期待していたが、今日は掲載されなかった。オンライン版には掲載されているので、明日にでも掲載されるかもしれない。タイトルは「放置・歪曲 教委に不信…身内意識 調査の壁」となっている。なんとなく内容が想像できる。昨日からなぜ学校(教育委員会)は、いじめについて不誠実な対応をするのかということを考えていた。
 いじめが発生した時に、最初に情報に接するのは、現場の教師である。担任であったり、部活動の顧問であったりする。この時点で、教師に「いじめに対するアンテナ」がきちんと立っていないと、いじめ事案を見逃したり、訴えがあってもきちんと対応しなかったり、上司に報告しなかったりということが起こる。いじめ事案というのは、生徒や保護者にとっては当然起こってほしくない問題だが、教師にとっても起こってほしくない。できれば、日々安寧に生徒が学校生活を送ってほしいと思っている。こういうバイアスがかかってしまうと、いじめかもしれない行為を目撃しても、そしていじめの訴えがあっても過小評価してしまうことが起こる。
 こんな経験をしたことがある。6月に行われる三者懇談の場で、生徒がいじめを訴えた。担任や保護者がいる場所での訴えだったので、相当勇気が要っただろう。ところが、その訴えを保護者が「子どもの時にはよくあることだから」と軽く受け止めてしまった。担任も、この保護者の意見に乗っかってしまい、まともに取り上げなかった。そして、いじめはどんどん進行し、夏休み明けの登校日には登校できなくなった。友達に相談したその生徒は、友達のアドバイスで養護教諭に相談した。このことでいじめが明らかになった。重大事態に発展する一歩手前でいじめの解決に乗り出すことができたのである。問題は、どこにあるか。いじめの訴えがあったときに、たとえ保護者が軽く受け流しても、「まずは、本人とよく話をしてみます。事実かどうかをしっかりと調査します。」と生徒に寄り添う姿勢を示していれば、生徒はこんなに苦しむことは無かっただろう。まずは、現場の教員の資質が問われる。
 教育委員会の指導主事というのは、学校現場の経験者である。それゆえに、学校内部の事情に精通していることが多い。このことが、いじめ対応において、よい方向に働けばよいが、タイトルにあるように「身内意識」に傾いてしまうと、被害者である生徒側に立たずに、学校側に立ってしまう。そうなると、ろくな調査も行われず、被害者の生徒・保護者は調査報告に更なる不信感を募らせてしまう。「下」のタイトルにあるようなことになってしまうのだろう。大阪府教育委員会の下で管理職を長年務めてきたが、大阪府教育委員会に限ってはこのような身内意識を感じたことはなかった。幸いである。だが、他の都道府県ではこのような身内意識が少なからずあるということを知った。

 学校を守るということを勘違いしている教育委員会があるのだろう。学校を守るということは、そこで学ぶ児童・生徒や保護者の立場に立って対処することである。保護者の中には、クレーマー体質の人もいる。しかし、保護者が学校に要望を言うというのは、相当勇気のいることである。決意して学校に乗り込んでくるのである。映画「怪物」の保護者のように、である。そうすると、冷静な対応をしようとしても、我が子を思うばかりについつい言葉や態度が激しくなってしまうことがある。このあたりの状況を充分に配慮しながら、初期対応にあたることが求められるのである。

と言っても、理不尽な要求をする親も多いのは確かだが・・・モラルハザードを起こしている家庭も多い。


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