工藤氏の学校経営により、麹町中学校の教師たちは、生徒を指導することをやめ、生徒の「主体性」を大切にするというお題目を掲げ、何もしなくなった。そのため、学校のあらゆる機能が機能不全に陥っていたことが、この本を読んでわかった。「立て直す」とつけられた章は、全部で11に及ぶ。その中に「避難訓練を立て直す」がある。これを読んだときに、私も同じような経験をしたことを思い出した。
ちょうど大阪市内にある某高校に勤めていた時である。その学校は、典型的な中堅高校で、勉強もそこそこ、部活もそこそこ、行事もそこそこと評価されていた学校であるが、私の眼には、すべてが中途半端に見えた。もう少し、教師が指導し、力を注げば、もっと生徒は成長するのではないかと思うような学校だった。私は、この中途半端な状況の原因を、「自主性」を掲げて、何も指導しようとしない教師にあると考えていた。
そんな学校での避難訓練の時である。ちょうど、阪神淡路大震災が発生し、神戸方面に住む先生方も被災し、防災意識が自然と高まっていた時の避難訓練である。その時私は2年生の学年団に所属していた。避難のサイレンが鳴り、校庭にすぐさま集合するように放送が入った。いつものように、私語をする生徒もいたし、笑いながら集合する生徒もいた。その学校のいつもの風景だ。そんな中で私が絶対許せないと思ったことがある。
生徒の集合が終わった後に、視察に訪れていた地元の消防士さんからの講評があった。消防士さんの話は、いつもの話とは違った。大阪市から震災のあった神戸にいち早く救助に向かおうとしていた方の話だった。消防士さんは、家の下敷きになったり、火事の消火を待ち続ける人たちがいるのに、車の渋滞やがれきでなかなか現地に到着できない、本当に悔しかったと涙声で生徒に聞かせてくれた。本当に心に迫る話を聞かせてくれた。
そんな話をしてくれているにもかかわらず、3年生の一部の生徒が、集会の後ろで水鉄砲で遊んでいるのである。それもきゃあきゃあ言いながら。失礼にも程がある。いずれ学年の教師の誰かが注意をするだろうと思っていたが、誰も注意をしないのだ。近くにいた3年生の先生に「指導しないのですか」と尋ねるとばつが悪そうに首を傾げるだけ。「これはだめだ」と思った。そして、腸が煮えくりかえる思いだったことを覚えている。
麹町中の避難訓練にも同じような光景が描かれていた。やまない私語、整列しない生徒たち、点呼が取れない先生たちである。そんな中、業を煮やした先生が全体に対して「静かに!」と叫んだ。そうすると、生徒から「あいつ、うるせい!」という声が出たというのだ。生徒を見守るとか、主体性を大事にするとか、美しい言葉に隠れた実態がこれだ。あー、私も同じ体験をしたなと思わず、30年ほど前の話を思い出した。

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