「御上先生」にみられる学校依存社会

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 月刊誌世界の4月号に特集が組まれていた。「学校依存社会」である。面白そうなので買ってみた。名古屋大学の内田氏、日本大学の広田氏、千葉工業大学の福嶋氏の寄稿を読んだ。なかなか面白い。学校依存社会とは、内田氏によれば、学校の過度な業務負担に依存する形で社会全体が安定的に維持される状況を言う。この論の中で、様々な事例を内田氏はあげており、今まで何の疑問も持たず、「生徒のため」「仕事だから」と考えて行ってきた業務が、果たしてそれは学校の仕事なのかという事を考えさせられる内容だった。

 例えば、現在放映中の「御上先生」にも出てきたが、生徒が万引きした時である。たいてい、店舗から学校に「お宅の学校の生徒さんが・・・」と電話がかかってくる。私も何回も生徒を迎えに行ったことがある。当時は、この業務に何の疑問も湧かなかった。ところが、この特集の指摘によると、本来万引きという罪を犯した未成年者の取り扱いは警察であり、保護するのは保護者である。学校は関係ない。言われてみればその通りだ。御上先生も店舗から電話がかかってきて、生徒を迎えに行っていた。この学校と万引きを犯した未成年者と被害の店舗という関係に、学校依存が関係する。学校は、生徒が犯罪を犯したことに責任を感じ、店舗は警察に通報するぐらいなら学校に連絡をして身元を引き受けてもらおう、生徒も警察に引き渡されて大事になるよりは学校の方がましという関係だ。ここに学校という社会的装置が緩和剤的に位置づけられ、社会から依存されている構図がある。
 実際、万引きを行った場合、高校生の場合は重い懲戒処分になる。私立高校なら退学処分も含めて考えられるし、公立高校でも長期の停学は免れない。初犯なら警察で厳しく説教され、親にこっぴどく怒られて済んだかもしれないが、学校に知られると重い指導が待っているのだ。事実、「御上先生」では、退学処分が下された。

 また、別の事例だが、祭りの巡回もやったことがある。夜の6時ごろから9時ごろまで地域の祭りの巡回をするのだ。これも当時は、仕事だから、慣例だからと考えて、何の疑問も持たなかった。進んでやろうという気持ちにはならない。なぜなら、問題行動を発見したら面倒だからだ。しかし、地域の人々との関係も含めて、大事な仕事と考えていた。だが、なぜ地域の祭りに教員が巡回しなければならないのかという事を考えると、疑問が湧く。地域との関係性が必要な仕事というのなら、きちんと時間外業務の手当てを出すならまだ話が分かるが、給特法の関係で、タダ働きである。

 地域が学校に依存している例もある。私が子育てした地域では、地域の交流のために小学校校区の町会を基本に、町会対抗の運動会が開催されていた。運動会は小学校で開催されるので、準備や運営には小学校の先生が動員されていた。学校の中には踏み込んではいけないモノ、使ってはいけないモノもあるし、使っていいモノもどのように使っていいのか地域の人は分からない。だから、どうしても教員の手が必要なのである。これは、地域が学校というものに依存している例だろう。

 教員の働き方改革を進めなければならない。広田氏が言うように、学校内では教員定数を増やして教師の持ち時間数を減らすことである。そしてもう一つは、学校と学校外の関係を見直すことだろう。学校依存社会の再検討が必要なのだろうと思う。コミュニティスクールというものがある。大阪府では盛んではないが、山口県などは盛んに取り組まれている。このコミュニティスクールでは、地域と学校の関係はどうなっているのだろうか。依存関係はどのようになっているのだろうか。教員の業務の削減はどうなっているのか。どなたか、検証してみてほしいものだ。


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