1月31日の社説に「教員の働き方」ー「業務の効率化をいかに図るか」という題で、社説が掲載された。読んでみたが、すでに教員の待遇改善で進められていることや、部活動の地域移行の取り組みなどが、だらだらと書かれているだけで、新鮮味は全然ない。何が言いたくてこの社説を掲載したのかと、3度読み直したが、言いたいことは、最初の7行で終わっている。つまりこういうことだ。
「教員の給与を上げても長時間労働が変わらない限り、なり手不足は解消されないだろう。」
これは、全く正しい。そして、
「業務の削減や簡素化を進め、教育現場を魅力ある職場に変えていかねばならない」
と続く。「教育現場を魅力ある職場に変えていかねばならない」のはその通りだが、そのためにやることは、「業務の改善や簡素化」なのか。読売新聞は、教員が努力を重ね、業務改善を進めて残業時間を減らしていることを知らないのか。
「長時間の会議や煩雑な書類の作成などは、現場の運用で削減できるはずだ。校長のリーダーシップが求められる。」
というが、学校の教育力を高めようとすれば、「チーム学校」の質を向上させなければならない。そのためには、個々の教員を孤立させてはダメで、連携こそがチームの質を向上させる。少し前に書いた千葉県立高校の生徒の自死案件などは、教員間の情報共有も「報連相」も何も行われていないのだ。少なくとも、情報共有、課題の鮮明化、対策の共有をしようとすれば、そのための会議が必要になる。意見が異なれば会議も長くなるだろう。意見の相違を生煮えの状況で放置すると、教員の児童生徒への対応に齟齬が生じるのだ。それは、教育の質の低下を招き、更なるトラブルを誘発することになる。必要な会議、必要な時間は、生徒のために重要なのだ。
だとすれば、どうすればよいか。教員を増やすことが重要である。教員定数を増やすことに加え、学校が抱える様々な課題に対応できる、スクールロイヤー、スクールカウンセラー、スクールソーシャルワーカー、スクールポリスなどの人材を学校に配置することだ。そうすることで、初めて教員は授業に集中することができ、業務改善も行える。
社説では、国の取組(5800人の教職員の増加)を紹介しているが、メディアとして言わなければならないのは、果たしてこの取り組みで学校現場の過重労働は解決するのかという検証だろう。何の検証もなく、国の取組だけを掲載して、メディアとして何の意味があるのかと思う。この社説を書いた論説委員の質の低さが推察される。
さらに、「定額働かせ放題」となっている給特法については、一切触れられていないのだ。民間労働者はもちろん、一般公務員でも支給される残業代が支給されない教員の給与体系は労働基本権から考えても異常と言わなければならない。この点についても、一切触れられていない。
読売新聞の教育関係者の記者は、本当に質が低い。
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