1月26日読売新聞の3面のスキャナーに日本維新の会が主張する高校無償化について大きく取り上げられていた。この日本維新の会の要求に対して、自民党の柴山議員(元文科省大臣)が疑問を次のように呈している。
「所得制限のない形で私立も含めて無償化することが教育の質(向上)や多様化につながるのか」
また、文科省幹部も
「私立に多い普通科への進学を後押しし、必要な高度専門人材を育成する地方の公立工業、農業高校などを衰退させる施策は逆効果だ」
と疑問視している。そこで、先行実施している大阪や東京の例を見ながら、何が問題かを見てみたい。なぜなら、大阪や東京は高校無償化の「社会実験」を行ったわけだから。
この高校無償化政策により、起こった最重要問題は、「公立高校の定員割れ」という現象だ。大阪府では24年度入試で府立高校145校のうち約半数の70校が定員割れを起こした。東京都でも都立高校を第一志望とする生徒が67%となり、31年ぶりに70%を切ったという。つまり、保護者負担を減らす、そして経済的格差により高校進学や高校選択に支障を出さないという高校無償化政策は、「公立高校離れ」を引き起こし、公立高校の衰退をもたらしたということである。自民党の柴山議員の「教育の質(向上)や多様化につながるのか」というのはもっともな意見だ。
なぜ公立高校離れが起こるか。府公立中学校長会進路第一委員会の村田委員長は
「保護者は、公立だと大学入試準備に多額の塾代がかかると思っており、受験対策に力を入れる私立に「お得感」を感じているのではないか」
と指摘している。この意見の一面も確かにある。公立高校も、早朝補習や放課後補習、長期休暇の進学講習など力を入れているし、当然無償なのだ。が、私学の宣伝効果のうまさに埋没してしまっている感がある。
だが、私立高校に流れる最も大きな要因は、入試日程にあるのだ。私立高校は、生徒獲得のために公立高校よりも早く入試を実施する。受験生からすれば、早く進学先を決めてしまいたいという心理は当然動く。親にとっても、「私学に通っても学費がかからないのなら、早く決めてしまうのもあり」となる。ましてや、公立高校よりも私立高校の方が、施設設備は充実しているし、大学進学を考えているならサポートも良いとなれば、私立高校を選択するだろう。
この政策の問題点は、「公私の切磋琢磨」と言いながら、切磋琢磨する土俵が平等でないことだ。公私の切磋琢磨を行うことにより、高校教育の質の向上、多様化をもたらすと言いながら、結果は公立高校潰しと、今まで受験生が集まりにくかった私立高校の延命に手を貸しているという点である。私立高校も様々だ。わかりやすく言えば「ピンキリ」なのである。教育業界から退場してもらった方がいいような私立高校もあるのだ。この問題を解決する簡単な方法がある。
公立高校と私立高校の受験日を同日に設定する
ということだ。これだけ税金を私立高校に導入し、私立高校を半公立高校化するならば、公立高校も私立高校も受験日を同日に行い、同じ土俵で生徒獲得競争の切磋琢磨を行うことが重要だ。当然、第一希望・第二希望制度の導入も検討されるだろうし、1次入試で定員を満たさなかった学校は、2次募集をすれば良い。そうすれば、受験生の希望という市場原理に基づいて、公立、私立を問わず一定の水準を満たさない高校は、教育業界から去ることになり、一律に私立高校に税金を使うことも無くなる。より、公私の切磋琢磨が活発化することになるだろう。
もし、私立高校が同日入試で生徒獲得が困難だと判断すれば、この制度から外れて授業料を有料化すれば良い。大阪府では、28年度から10日ほど入試日程が早まることになる。この改革に対して、大阪府の私立高校の会長である校長が、ヒステリックに反対した。税金という金をもらって自分の学校だけのうのうと生き残ろうとする誠にせこい姿勢だ。堂々と公立高校と同じ土俵で生徒獲得競争を行い、勝負したらどうだと言いたい。それほど、自分の学校の教育に自信が無いのだろうか。
この高校無償化制度による議論は、単に国民民主党の「103万円の壁問題」よりも日本維新の会の「高校無償化」の方が「安上がり」などという低次元の議論ではなく、大阪府と東京都の「社会実験」の結果を踏まえ、高校教育政策はどうあるべきなのかという視点で議論を深めてほしいし、マスメディアもこの視点での議論を喚起してほしい。
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