2025年は、昭和が始まって100年の年に当たる。私は、1960年生まれなので、今年で65歳になるので昭和100年のうち、65年を生きてきた。昭和の半世紀以上を生きてきたのだと思うと、何か感慨深いものがある。
私が生まれた頃は、私の家は本当に貧乏だった。タバコ屋をやっている店は、藁ぶきの家で台風が来るたびに壊れそうになるため、家の前の小学校に避難を繰り返していた。しかし、高度経済成長を迎え、徐々に我が家も豊かになってきたようだ。小学校の何歳か忘れたが、家族でレストランに行った覚えがある。菊水レストランというレストランだが、今思い返せば普通のレストランだった。しかし、子どもの私にはとてもまぶしく感じた。何せ、初めての外食である。頼んだのは、エビピラフだったと覚えている。そんな家族のイベントが行われるまでに我が家は豊かになったが、私が着ている服は、従弟の兄さんのお古で、ズボンの膝はすぐに破れ、いつもお袋が繕いをしてくれているような服だった。それでも、大阪万博が10歳の時に開催され、家族で行った。有名なパビリオンには長蛇の列で入ることができず、記憶にあるのはマレーシアかインドネシア、それともタイの東南アジアのパビリオンに入ったことだ。そこでは、人工心臓の展示があったのではないかと記憶している。高度経済成長は、我が家にも様々な変化をもたらし、小学校の卒業式には、初めて新品のジーパンを買ってもらい出席したことを覚えている。日本が坂の上の青空をめざして駆け上っていった時代だ。
大きく時代が変わったのは、1991年から1993年に起こったバブル崩壊によってだろう。時代はすでに平成になっていたが、昭和でカウントすると、昭和66年から昭和68年頃になる。そこから、日本の成長はストップして今に至る。私が現役で府立高校の管理職をしていた時代には、「失われた20年」という言葉を使っていたが、いまや「失われた30年」である。この間、世界第2位だったGDPは、中国に抜かれ、ドイツに抜かれ、現在は世界4位。すぐに5位のインドに抜かれるだろう。モノづくりニッポンの威信は失われ、データ改ざんなどの様々な不祥事が企業で発生した。これも「失われた30年」の中で、現実を見ずにもがき続けた日本の歪だろう。
昭和の100年を区切ってみれば、
①昭和元年から昭和20年の戦前・戦中
②昭和21年から昭和29年の戦後復興
③昭和30年から昭和47年の高度経済成長
④昭和48年から昭和65年の低成長時代
⑤昭和66年から現在に至る「失われた30年」
となるのではないか。先にも述べたように、私は高度経済成長~低成長~「失われた30年」を生きてきた。公立高校の教員として生きてきたため、バブルの恩恵はほとんどなかったが、世間ほど経済の浮き沈みを体感しなかったのが幸いなのかもしれない。
今年、初めて元旦に日経新聞を買った。今日、詳しく読んでみたが、他の新聞と比べても一番面白かった。目を引いたのは、読者対象のアンケート調査だ。「5年後、今より豊かになっていますか?」という問いに対して、肯定感の割合が、
日本 →43.8%
なのに対して、
ベトナム →83.3%
マレーシア→82.6%
タイ →80.6%
なのだ。この質問に私が答えるとすれば、やはり「NO」と答えるだろう。次の衆議院選挙で積極財政派が政権を取れば、期待を込めて「YES」と答えるだろうが、今は確信がない。日本の高度経済成長期に、同じ質問がされたら、おそらく8割以上の人が「YES」と答えたことは容易に想像がつく。将来に希望が持てる東南アジアの国々が羨ましい。
今年は、大阪万博が開催される。思えば、この万博は堺屋太一氏の執念であったかもしれない。高度経済成長のシンボルであったExpo70と「失われた30年」に開かれるExpo2025。さて、何をこの万博は残すことになるのだろう。
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