2月28日の読売新聞の教育欄に「再挑戦の教室」が掲載された。東京都が設置したチャレンジスクールの都立小台橋高校の保健室の様子が紹介されていた。二人の養護教諭が配置されているが、この二人の先生の生徒への接し方を読むと、中々素晴らしい先生だと思った。保健室に来る生徒は、心身どちらかもしくは両方に不調を訴えてくる。最近は、心の不調を訴える生徒の方が多いのではないかと思う。このような生徒に、二人の先生は、「少し休んでいく?」と生徒に提案するのではなく、「あなたはどうしたいの?」と聞く。この二つの質問の間には、雲泥の差がある。記事にも「生徒が自分の考えをまとめて言葉にし、自発的に動くのを辛抱強く待つ。」と書かれていた。その通りだろう。「少し休んでいく?」と聞かれた生徒は、ほっとするだろう。しんどくて保健室に来たのだから。しかし、そこで思考停止してしまう。自分の状況がどういう状況なのか、たとえばこの時間、保健室で休むことが許される状況なのかどうか、自分で判断することを停止してしまう。しかし、「あなたはどうしたいの?」と聞かれると、生徒は色々と考え、それをまとめて、言葉にするという作業をしなければならない。やがて社会に出ていく生徒たちには、たとえ今がしんどくても、こんな力が必要になる。素晴らしい実践だ。
学年主任や教頭・校長をしている時、よく保健室に出かけた。それは、生徒の様々な情報を得るためだ。教室で見せる顔、廊下であいさつする顔、登下校で出会う顔、先生からの情報提供でイメージする生徒、そのような生徒の姿と保健室で見せる生徒の姿は大きく違うからだ。保健室は、学校の中では、「周辺」に位置する。図書室もそうだ。中心がどこかというと、校長室であり職員室、そして生徒指導室だろう。生徒にとっては、緊張を強いられる場所だ。だから「素」を出せない。建前で話さなければならないのだ。それに対して、保健室などの場所は、生徒が「素」を出しやすい場所だ。だから、学校の経営で大事なのが、この「中心」と「周辺」の連携なのである。保健室からの情報発信、そして中心からの情報収集、互いの情報交換が求められる。
私が校長をしている時、毎朝校門に立って、登校する生徒を迎えていた。そうすると、気になる生徒が出てくる。そんな生徒について、保健室に行って聞くと、大概は「よく保健室に来る」「しんどいと言っている」「勉強についていけないみたい」「どうも家庭がごちゃごちゃしているよう、詳しいことはまだ話してくれないけど」というような情報が返ってくる。本当に保健室は、学校にとって重要な役割を担っている。
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