どうも、教員という職に就いている人のコンプライアンス意識は低いのではないかと思うようになった。今日も川崎市で大量の教員の処分が発表された。交通費の不正受給や出退勤登録の問題である。民間では許される問題ではない。更にいじめの問題でも、同じようにコンプライアンス意識の低さを思う。いじめの重大事案で、第三者委員会が設置された事案のほとんどで、学校がいじめに組織的対応ができていないと指摘しているのだ。
私が高校の校長をしているときも、いじめ事案は発生した。その多くは1年生で発生する。指導に当たって懲戒処分を行うときに、私は常に「いじめは法律で禁止されていることは知っているか?」と生徒に問うた。ほぼ全員が知らないと答えた。小中学校の教師は、このことを児童・生徒に伝えていないのではないかと思うほどである。
いじめが法律で禁止されていることを伝えたからと言って、いじめが無くなるとは思っていない。それほど生易しい問題ではないからだ。10代前半の思春期は、まだまだ未熟だし、心身共に成長過程にある。人間関係のトラブルも多く経験するだろう。このような経験を通じて社会性を身に付けていくともいえる。人間関係のトラブルの解消には、トラブルの原因を解消するために直接話し合いをすることもあるだろうし、互いに距離を置くということもあるだろう。大人社会も同じようにしている。合わないと思う人同士に「仲良くしなさい」というのは、無理な話なのだ。大人は、適当な距離を取りながら人間関係を円滑にしている。「仲良くしなさい」が道徳的で教育的だと、もしかしたら小中学校の教師が思っているとしたら、それは大きな間違いであると私は思う。問題は、このような人間関係のトラブルが、いじめにすぐに発展してしまうことである。つまり、トラブルが攻撃に転化してしまうのである。
大人ならどう考えるだろう?ほとんどの場合、相手に対して誹謗中傷したり、物理的に攻撃したりすると、法的の問題になると考えて、いくら相手が憎らしくても、法に触れることはしない。解決したければ法的処置に打って出る。大人の対応には、違法行為にならないために「ブレーキ」がかかるのだ。子どもにも「何がいじめか、いじめをしたらどうなるか、学校や教育委員会という大人はどう動くか?」ということをきちんと教えないといけない。そうすれば、少なくともいじめを行っている、もしくはいじめようと思っている集団にブレーキが少しはかかるのではないかと思う。ブレーキがかからなくとも、「いじめとは知らなかった」という言い訳は通用しなくなる。いじめの確信犯になるのだ。
教員は、自分の義務や権利についてのコンプライアンスを高めると同時に、児童や生徒にも「法を守る」という意識をもっと教えないといけないのではないかと思う。
川崎市の大量処分
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