11月1日の夜に、BSの番組で『ゴジラ』が放送されていた。10月30日の夜には『ゴジラ -1.0』が放送されており、これは『ゴジラ-0.0』の11月3日公開に向けたキャンペーンだったのだろう。
私にとってのゴジラ映画とは、基本的にはゴジラは正義の味方である。だが、アカデミー賞を受賞した『-1.0』は、東京を破壊する恐怖の化身であった。そして、1954年の原点である『ゴジラ』(以下「1954」とする)もまた、東京を徹底的に破壊しつくす冷酷な悪役怪獣だった。
ところで、「1954」を日曜の夜にはじめて観たのだが、この映画は私が子どもの頃に父親と一緒に見た怪獣映画とは明らかに違った。はっきり言って子ども向けではなく、大人も十分に見応えのある重厚なドラマだった。出演している役者たちの演技には、少し古臭さや未熟さを感じる部分もあったが、古生物学者の山根恭平を演じた志村喬だけは別格で、さすが黒沢映画に多用された名優らしい圧倒的な存在感を放っていた。
だが、何より驚いたのは、この映画が単なる怪獣パニックにとどまらなかった点だ。相次ぐ水爆実験の脅威がベースにあるのはもちろん、オキシゲン・デストロイヤーを開発した薬学研究者・芹沢大助の「科学者としての倫理に関する苦悩」や、情報の公開・隠蔽をめぐる国会のやり取りなどは、現代においてもそのまま通じる鋭いテーマである。芹沢博士は、とてつもなく恐ろしい兵器が悪用されることを防ぐため、その設計図だけでなく、自らの頭脳にある知識までも葬り去るために、海底でゴジラと共に死ぬ道を選ぶ。その悲壮な決意には胸を打たれるものがあった。
今でこそVFXやCGが当たり前だが、当時はすべて特撮技術によるものだ。現在から見れば手作り感はあるものの、当時としては驚異的な迫力と気迫に満ちた映像だった。「1954」でゴジラが列車を襲う有名なシーンは、『-1.0』でも重要なオマージュとして再現されており、新作が初代の遺伝子をどれほど深く受け継いで作られたのかがよくわかる。冒頭の舞台が大戸島である点も含め、見比べてみると非常に面白い。
さて、11月3日からは新たな展開も控えている。どんな世界が描かれるのか、今から楽しみでならない。

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