月刊誌『日本教育』の4・5月合併号で「今年こそ学校・園を元気に!」という特集が組まれていた。発刊当時は忙しく見落としていたのだが、あらためて読み返してみると、特集巻頭に掲載された寄稿文に疑問を抱いた。岐阜聖徳学園大学客員教授・玉置氏による「『エビデンス』より『エピソード』で語る」と題された寄稿文である。どうも玉置氏は、エビデンスとエピソードを二律背反(対立的)なものとして捉えているようだ。
氏は、子ども像や生徒像を具体的エピソードとともに語ることを提案している。これは素晴らしいことであり、具体的なエピソードを示すことで伝えたい内容が理解しやすくなる点については、何ら異論はない。しかし、エビデンスとエピソードを対立構造として捉える姿勢には賛同しかねる。
氏は寄稿文の中で次のように述べている。
「私は研究校などに指導で関わる場合には、『職員室で、子どもたちの姿について、エビデンスではなく、具体的なエピソードを語り合うようにしてください』とお願いしています。『うちの学校は、対話が60%できるようになった』などのエビデンスは、数字の裏付けはあっても、どこか嘘くさい感じが残ります」
果たして本当にそうだろうか。氏は、研究データに「定量的データ」と「定性的データ」があることをご存じだろうか。前者は数値化されたデータであり、後者は自由記述や意見・感想などのテキストデータである。近年では後者の定性的データであっても、視覚的に傾向を捉えるためにテキストマイニング等を用いてデータ化・分析されている。
氏の言うようにエピソードばかりに固執すると、「木を見て森を見ず」に陥りかねない。本来は、まず定量的データによって全体像(森)を把握・分析し、その数値の裏にある具体的な「声」や文脈を理解するために定性的データ(木)を検証するものだ。
例えば、学校評価アンケートで「学校が楽しい」という項目の肯定率が下がったとする。定量的データ(数値)だけでは、その原因まで特定するのは難しい。しかし、自由記述欄に寄せられた保護者や子どもの「声」(定性的データ)を参照すれば、数値の背景にある原因の分析が容易になる。
だからこそ、定量的データ(氏の言う「エビデンス」)と定性的データ(氏の言う「エピソード」)は、双方そろって初めて真価を発揮するのであり、どちらも欠かすことのできない重要な要素なのである。

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