文部科学省の同志社国際高校への通知に関して、朝日新聞・毎日新聞が「教育現場萎縮の懸念」を述べている。このことについて、論点をずらすなとブログに書いた。もう一度言うが、文科相はヘリ基地建設反対の学習をするなと言っているわけではない。様々な意見や考え方を提示しろと言っているのである。なぜ、教育現場が萎縮するとなるのか、理解できない。
朝日新聞や毎日新聞が懸念する委縮する学校現場があるとしたら、政治的中立性を逸脱しているのだろう。そういう学校、そういう実践をしている教師は、「萎縮」してもらわないと困る。これは、世間的には「萎縮」とは言わず、正常化だという事を、この二紙は知っているのだろうか。
毎日新聞には、被爆者からの証言を聞いているという東京都内のキリスト教系私立学校の男性教員のコメントが掲載されていた。
「もし、証言の中で憲法への賛否や核兵器禁止条約の批准の是非に及んだら、政治的中立性を欠くと言われるのだろうか。」
「その話題に触れないように申し入れることはあり得るかもしれないが、被爆者の率直な証言をコントロールすべきではないとも思う」
「証言の中で憲法への賛否や核兵器禁止条約の批准の是非に及ぶ」ことが政治的中立性を欠くと言われるのではない。
平和教育、核廃絶の取組について、被爆者の意見を聞くのは、極めて重要だし、今後も進めるべきだ。被爆者にとって、「核」とはどういうものなのかという事を、生の声で聴くことの意義はとても大きい。これは、被爆者から見た一つの見解である。だが、実際の歴史を辿ってみれば、核兵器は未だに廃絶されず、逆に世界各国は拡大の方向に舵を切っている。「核」を使用させず、廃絶の方向に向かわせるにはどうすれば良いか、そして、中露北朝鮮という核保有国に囲まれた日本の安全保障はどうあるべきかについても、議論をすべきだろう。多くの様々な意見を聞くことで、そして生徒同士で議論を繰り返すことで、生徒の考えがまとまっていくようにすること、それが学校の役割である。
そのためには、神奈川県の私立高校の管理職のコメントのように「現在進行形で動いている問題や政治について積極的に触れないと生徒の生きた学びにはつながらない」のだ。だからこそ多面的で、多角的な意見を生徒たちに学ばせる必要があるのだ。
毎日新聞にコメントを寄こした学校や先生方は、全く萎縮する必要はない。
毎日新聞や朝日新聞は、自社の主張に都合の良いようにコメントを切り取り過ぎだ。

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