同志社国際高校の修学旅行での死亡事故が政治問題化している。国会でも取り上げられており、多くの政治家がこの問題について言及している。この修学旅行を巡る問題は、①修学旅行に関する安全確保という視点と、②平和教育の在り方という問題に加えて、③私立学校の指導・管理という問題が加わってきた。
今まで、①に関する問題については、このブログでも取り上げてきた。とにかく、海上運搬法に基づく許可を得ていない船を、学校との個人的な繫がりだけで、生徒を乗船させるという危機管理の甘さである。何回も言及したが、旅行業者が企画に関わっていれば、安全管理についてはほぼ解決する。
2点目の平和教育の問題については、政治的中立性がどこまで担保されていたかという問題だ。この問題についても以前のブログで言及した。抗議活動を行っている人たちの船を利用したから駄目だという事ではない。抗議活動を行っている人たちの話を聞くことも必要だ。問題は、船に乗って海上から埋め立て予定地を視察することだけが平和教育ではないという事だ。元々の事を言えば、普天間基地の移設から話は始まっている。そして、さらに深掘りすれば、なぜ沖縄に米軍基地が集中しているのかという問題だ。そして視点を横に広げれば、今の米中の国際関係、台湾問題、尖閣諸島問題等、どんどん現在の国際政治に話が広がる問題なのだ。
学校として、平和教育を取り上げるとき、最も留意しなければならないのは、ある立場の情報だけを生徒に与えてしまう場合があるという事だ。つまり、様々な立場の人の話を聞く必要がある。普天間基地の移設に伴う埋め立てに賛成している人の話も聞く必要があるのだ。そうでなければ、政治的中立性は担保できない。この同志社国際高校の平和教育については、いろいろな情報が飛び交っているが、どうも政治的中立性が担保されていない可能性が高い。それこそ、私立学校の教育内容についての検証が必要なのである。まさに、この問題が3点目の問題としてクローズアップされてきた。
16日に行われた参議院の文教科学委員会では、国民民主党の伊藤たかえ議員が事故について、同校校長に対しての強い怒りをあらわにして追及した。
「なぜ黙祷がないのかのみならず、なぜ今回の事故の直接的な原因は私たちにあるわけではありませんと枕言葉をつける必要があったのか」
「なぜ学校はある意味でリスタートしますなどと軽率な言葉選びができるのか」
「リスタートって、亡くなった知華さんもご遺族もリスタートなんてできないんですよ。そんな中でなんて非道な言葉を使う教育者なんだと非常に憤りを覚えました」
と校長の資質について厳しく追及している。文科省も同校に対して実態調査に踏み切ることになった。
私立学校の認可・監督・指導については、都道府県が行うことになっている。しかし、公立学校と比して、その監督・指導についてはどのように行われているのかは、甚だ疑問に思う。今回の同志社国際高校の事件もそうだが、広陵高校のような相次ぐ私立高校のスポーツ強豪校での不祥事などは、公立高校では(少なくとも大阪府立高校では)考えられない事例である。
今回の同志社国際高校等をきっかけに、私立学校法の改正に着手すべきではないか。高校授業料無償化により、膨大な国民の税金が私立高校に投入されているのだ。その教育の質を担保するためにも、今までのように私立学校の勝手にさせるのではなく、もっと教育行政が関与すべきではないか。
自民党や日本維新の会、国民民主党も平和教育云々だけで、左派教師を糾弾するのではなく、もっと本質的な問題に切り込むべきだろう。

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