「探究公害」について


 1月29日に「東洋経済education × ICT」に、「『探究公害』という言葉がSNSで拡散されている…高校生の探究学習が迷惑をかけているのはなぜ?協力依頼に戸惑う専門家や自治体も」という記事が掲載された。記事をシェアして、簡単なコメント「『探究公害』は、教師の指導力の無さの結果です。」をつけたら、異論のコメントを頂いたので、少し詳しく書いてみたい。

 記事には、こんなことが書かれてあった。

高校生が大学教員に「探究学習で〇〇について調べているので教えてほしい」と連絡をし、結果、相手の時間を奪うケースが増え、大学教員側が頭を抱えているという。
これは、私も取材先の大学で何度か聞いた話だ。「高校が探究学習の指導を大学にしろと言ってくる。大学の学生への指導で手一杯なのに、なぜ外部の高校生の指導をやらなくてはいけないのか」と困惑していた。

というものだ。また、

「アルコール依存について説明する中で、アルコールを分解する分解酵素の話をしたら、『酵素って何ですか』と聞いてきました。アルコール分解は高校の生物の範囲ですし、それがわかっていないとこちらも説明するのは大変です」

というのもある。

このようなことがなぜ起こるか。それは、探究を進めている高校側が探究学習をどのように進めればよいかという事を指導せずに、生徒に丸投げしているからである。例えば、記事にあった酵素の問題。アルコール依存症が探究のテーマなのだろうが、ネット上にアルコール依存症についての解説記事などは、至る所に出ている。その中で、酵素の話も出てくる。酵素について調べようと思えばいくらでも調べることができる。こういう基礎知識を勉強せずに、大学教員に「酵素って何ですか?」と質問するのは、失礼極まる。また、こういう基礎知識は、高校の理科教員にでも聞けば、教えてもらえる話だ。

だから、高校の教員は、
①探究のテーマについての基礎知識は、ネット情報、文献などできちんと自分で勉強すること。
②その上で、専門家について質問するときは、探究テーマの内容で質問内容を精選し、探究の重要な部分について質問すること
③さらに言えば、大学教員に質問をするなら、その大学教員が発表している論文を読むことは最低限のマナーであること
を指導しなければならない。

先のアルコール依存症についても、単に依存症について探究するならそれは小中学生が行う「調べ学習」と何ら変わらない。アルコール依存症の何を探究するのか、それを医学の立場で探究するのか、それとも精神医療からアプローチするのか、さらに社会問題としてアプローチするのかで、全く探究の方向性が変わってくる。だから、

④一体何を探究したいのか、その「問い」の立て方を指導するのも教員の仕事だ。

以上の事を踏まえると、探究学習において、まずは学校の教員がやるべきことをやったうえで、専門家にアプローチすべきだという事だ。そういう意味で、「教師の『指導力の無さ』が第一義的な原因」という事になる。

 次に、このような教師の指導力の無さがなぜ生まれるかというと、多くの教員自身が高校までに探究学習を経験していないこと。大学でも卒業論文を書いていない、または書いたとしてもそれほど卒論に意義を見出していないという事がある。前者は中堅・ベテラン教員に多く、後者は若手教員に多い。この問題を解決するには、博士課程とは言わないが、修士課程を修了した教員を増やすことである。私は、50代後半でもう一度大学院で学んだが、修士論文を書くにあたって、相当勉強したし、論文の書き方を学んだ。この経験は、探究学習の指導に大いに役立っている。当時私は校長をしていたので、直接生徒を指導していなかったが、生徒を指導する教員の指導力不足が目についた。あと一押し、生徒に声をかけてあげたら、もっと探究が深まるのにと思ったケースが少なからずあったのだ。

以上のような考え、経験、思いから「教師の指導力の無さ」なのである。


“「探究公害」について” への1件のフィードバック

  1. 教員経験者のアバター
    教員経験者

    はじめまして
    「教師の『指導力の無さ』が第一義的な原因」
    「多くの教員自身が高校までに探究学習を経験していないこと」
    について、思うところがありましたのでコメントさせていただきます。

    仕事柄、探究先進校をいくつも視察したことがありますが
    学校全体のカリキュラムだけでなく、運営形態が「探究可能」に組んであります。
    大学付属や、大学が欲しがる学力の学校、設立当初から探究をコンセプトとした企業連携
    部活動は研究系が多く、運動系部活動は探究優先で活動を制限しています。

    逆にこれらが維持できない公立の中堅校以下の学校は探究の時間によって学校の崩壊が始まっています。
    探究をおこなわなければいけない教務側と探究に時間をとられたくない部活動教員・生徒
    学校の多忙化により、探究以前から授業の準備すら満足に行えない状況であったものが
    探究では新たに教員一人で20名近くの生徒の活動の伴走しなければいけません。
    「指導力の無さ」以前に、探究が成立する環境ではないのです。

    ここに、ネットニュースなどで有識者の方が
    「指導力不足」「探究的な学びを経験していないから」などとおっしゃられるのを見ると
    現場の教員とってはこの上なく惨い仕打ちであろうと感じます。

    現在中教審では探究の時間ワーキンググループの審議が行われていますが
    資料内には「そんなことも想定せずにこれから検討するのか」と目を疑う内容も多いです。

    高校教員にとっては現場のリソースも生徒の実態も無視した探究の必修化こそ
    学校を崩壊させる災厄であり公害に他なりません。

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