なぜ日本が世界に必要なのか

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 エマニュエル・トッド氏の『なぜ日本が世界に必要なのか』を読んだ。いつもながらトッド氏の主張は、日本のメディアで流れる知見や情勢分析とのギャップが大きく、思考の整理に骨が折れる。彼の前作『西洋の敗北』で提示された問題意識が根底にあるのだが、普段目にする情報とのあまりの乖離に頭を悩ませてしまう。

 氏の主張の中で比較的納得がいったのは、「欧米の産業空洞化」に関する指摘だ。ロシアの9倍から14倍のGDPの欧米よりも、ロシアの方が実務的なエンジニア数で勝っているという。トッド氏は「もはやGDPは国力を正しく測る指標ではない」と断じるが、なるほど一理あると感じる。圧倒的な経済力を誇るアメリカとイランの対立においても、イランは非対称戦を展開して優位を保ち、停戦交渉でも以前より有利な条件を引き出した。また、アメリカがAI開発で中国としのぎを削っているものの、その開発を支える人材はインドからの流入に頼っているという実情もある。

 一方で、どうしても素直に受け入れがたいのがウクライナ情勢に関する論調だ。氏は「すでにウクライナは敗北している」「今のウクライナは戦争を継続すること自体で国家を維持している」とまで言い切る。主権国家の国境を侵したロシアやプーチン大統領の行動は断じて容認できないと私は考えるが、トッド氏の評価は異なる。むしろリベラル民主主義を標榜する西洋の指導者よりも、ロシア・中国・イランといった権威主義国家の指導者の方がよほど理性的であり、欧米の指導者層こそがニヒリズム(虚無主義)に陥っていると主張するのだ。

 確かに、トランプ氏をはじめとする近年の米政治家の言動や、国際刑事裁判所(ICC)に対するアメリカの制裁措置などを見ていると、「アメリカは国際法や秩序を守る意志があるのか」と疑問を抱かざるを得ず、トッド氏の冷ややかな視線には一理あると認めざるを得ない局面もある。そうした混乱する世界秩序の中で、トッド氏が打ち出す結論こそが「日本こそが世界に必要だ」という本書の主旨である。具体的には、対米従属を脱して自立した外交を展開すべきであり、そのためのカードとして「独自の核保有」すら提言しているのだ。

 唯一の被爆国である日本が核を保有するというのは、極めてハードルが高い。しかし同時に、日本人の心理の根底には、原爆投下に対する明確な謝罪がないまま対米従属を強いられてきた歴史的トラウマが存在することも事実だろう。現在の日本の姿は、極端な例えをすれば、攻撃を受けた側が攻撃した側の論理に追従しているかのような歪さを孕んでいる。第二次世界大戦後、これほど長期間にわたり占領政策や同盟関係がスムーズに機能した例は世界的に見ても珍しい。通常、敗戦国は戦勝国に対して複雑な愛憎や反発を抱くものだからだ。

 現在の日本の政権は、今後どのように舵を切るのだろうか。どこまでアメリカの動向に付き合い続けるのだろうか。もし将来、「対米従属からの脱却・自立外交・そのための自主防衛(核保有)」を掲げる政治勢力が現れたとき、日本国民はどのような選択を下すのだろうか。

 このまま無批判にアメリカへ追随し続けていて日本は本当に大丈夫なのか――本書はそうした根本的な危機感を深く突きつけてくる一冊だった。


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