これが高野連の体質


 このブログの原稿は、ちょうど夏の甲子園大会決勝の日に書いている。8月22日の読売新聞の24面に「甲子園 球児の名掲げ応援『禁止』」という見出しで記事が掲載されていた。この記事を読んで初めてそんなことになっていることを知った。理由は、日本学生野球憲章がかかげる「教育の一環」が理由であるらしい。「個人をヒーロー視する応援は好ましくない」としているからだという。まさに、高野連の「上から目線」体質である。

 ただ、個人名を出して応援することは許容されているらしい。理由は、「ボードなどは多くの人の目に触れ、写真・映像に残る可能性もあるが、声援はその場限り」ということである。今のSNS時代、動画でバンバン配信されているのだ。声の応援もどんどん配信される可能性はある。どこで線引きしているのか不明だ。

 今回の大会でも出場選手の名前を掲げて応援していたケースで、注意を受けたらしい。選手の友人らが応援したり、親戚が応援したケースである。関西大学の神谷教授は次のようにコメントしている。応援の過熱を防ぐために一定のルールを設けることは理解できると前置きしたうえで、
「教育の一環という説明だけでは人によって解釈が変わるため、丁寧な合意形成が必要だ」と指摘し、「応援ルールを見直すことも考えていいのではないか」と見解を述べている。その通りだと思う。

 チームを応援するのは当然だが、より身近な選手の活躍を応援するのもスポーツ観戦の楽しみだ。ましてや全国の高校球児のごくわずかしか出場できない甲子園に出場したのである。心情的には、頑張った出場選手を応援したくなるのが自然な人の心だろう。

 高野連は、教育の一環というのなら、もっと説明責任を果たさなければならない。これだけでは、なぜだめなのか十分には語っていない。因みに、他の高校スポーツの場合は、どうなのだろう。高体連はどういう見解なのだろうか。


コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

トップへ戻る