NHKスペシャルで壮大な企画が始まった。「ヒューマンエイジ」である。第1集が人間の欲望について。まだ録画を全部見ていないが、人間の欲望が地球環境に大きな影響をもたらしていることを「人新世」として地層から改名していた。1950年前後から大きく地層に変化が生じていることは衝撃的である。
さて、第2集は、「戦争、なぜ殺しあうのか」というテーマである。人類が誕生したころ、人間はか弱い存在で大自然の中で脅威を感じながら生きてきた。そのようなか弱い生き物が今まで生き延びてこられたのは、「共感のホルモンーオキシトシン」のおかげというのである。ところが、大自然の猛獣におびえていた人類が、その力関係を逆転することになる。そのきっかけが飛び道具の発明だ。槍、弓矢の発明により画期的に獲物を収穫することができるようになったことにより、今まで数十人単位のグループが、どんどん大きくなる。ところが、1万3千年前ごろから、この人間の集団同士の戦い、戦争が勃発し始める。このあたりの経緯は、農耕の開始と関係があるのではないかという仮説が紹介されていた。より豊かな土地を求めることによる争いが起こるというのである。この飛び道具の発明により、相手が「人間である」ということの共感力が落ちたことによって、人を殺すことへの抵抗感が低くなったのではないかということである。
しかし、後半はより衝撃的である。この共感力のホルモン、オキシトシンにより人間はより激しい殺し合いをすることになったというのである。その例として示されたのが、欧州で起こった30年戦争である。この戦争は、ルターの宗教改革が始まった100年後にドイツを中心にカトリックとプロテスタントの間に起こった戦争であるが、欧州の覇権争いも関わり、国際紛争に発展した戦争である。この戦争の結果、ドイツ国民は1600万人から1000万人に減少したという、まさに血で血を洗う戦いである。この30年戦争の調査をしている教授が発掘した現場では、無造作に捨てられた人骨が多数発見されている。なぜ、ここまで残酷になれるのかと疑問を呈していた。この30年戦争は、第2次世界大戦と同等の殺傷率の高さなのである。
このカトリックとプロテスタントの間に起こった戦争に、オキシトシンが大きく関係しているのではないかというのである。つまり、同じ宗教を信じる者は「仲間」であるが、違う宗教を信じる者は「仲間」ではない、いや「人間」ではないという感覚である。同じGODを信じるがゆえに、自分が正しく、相手が間違いであるとなれば、もう妥協する余地がなくなる。これが一神教の怖さである。現在では、キリスト教、イスラム教、ユダヤ教の中でこの対立が繰り返されている。この3つの宗教は、同じ神を信じており、神は一つなのである。この神からの啓示や預言者が違うために、対立が発生してしまう。カエサルの時代のローマ帝国は多神教だった。彼が征服したと言われるガリア地方(今のフランス)では、征服後も彼はガリア地方の人たちが信仰する神を認めている。これが多神教の素晴らしい所だと私は思っている。
共感力を戦争に向かわせるためには、相手に対する差別・偏見・増悪を駆り立て、相手が同じ人間ではないと思わせなければならない。逆に、戦争を起こさせないようにするには、相手には自分と同じように生活があり、子どもがあり、文化があり、夢があり、人生があるということを認識することが必要である。番組の最後に、20年近く国内で紛争を続けていた民族が、「相手を許す」「軍人の罪を問わない」ということで紛争を終結した例が紹介されていた。これはとてつもないことである。通常、紛争が終結するには、どちらかが決定的に勝利するか、第三の勢力による軍事的管理下に置かれるかである。しかし、このケースは、互いに「相手を許す」ことで紛争を終結したのである。自分の夫を子どもを親を殺されたにも関わらず、殺した相手を許そうというのである。この葛藤は、悶絶するほどの苦しみだろう。しかし、平和というのは、このような苦しみの上に成り立っているのだろうと思うが、戦争を経験していない私には、これ以上は想像できない。
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