文芸春秋7月号に三輪さんの記事が掲載されていた。三輪さんで通じるのは、私の年代ぐらいか。美輪明宏さんである。三輪さんが長年勤めている人生相談に関する記事だが、その中で三輪さん自身が自分の生い立ちを語っていた。ご存じの方も多いのだろうが、私にとっては初めて知る内容だった。
三輪さんは、長崎の生まれなのだ。それも花街である丸山の近くの育ち。中国人の女給やロシア革命を逃れたロシア人の女給が働いていたという。花街だけあって、様々な人生模様に小さいころから出会っている。現代風に言えば、まさに多様性そのものなのだろう。びっくりしたのは、東京の国立大学音楽学校付属高校に入学したにも関わらず、実家が破産。退学を余儀なくされ、路頭に迷いホームレスさえ経験されている。この経験が、人生相談にも役立っていると三輪さん自身が語っている。
銀座7丁目のシャンソン喫茶「銀巴里」の話は、面白い。今となっては近寄りがたい文化人の無名時代に、三輪さんが関わっておられる。やはり、東京、それも銀座は違うと思った。生まれも育ちも大阪、それも河内という私とは境遇が違う。八尾に住んでいるときに、有名な今東光氏が昔住んでいたと聞いたぐらいだ。
三輪さんと言えば、「ヨイトマケの唄」。初めて聞いたのはいつだったのだろう。この歌が歌われた最初は1964年だから、この時はまだ子どももいいところだ。おそらく、2012年のNHK紅白か?三輪さんの迫力に圧倒された。私にとっての三輪さんの印象は、やはり「もののけ姫」だ。モロの役の三輪さんの迫力は、他のすべての声優を凌駕していた。今でも、モロの「アシタカ、お前にサンは救えるか!」は耳に残っている。これが、自然を破壊する人間に対する自然の中で生きるモロたちからの刃にも似た問題提起だ。アシタカは人間世界で、サンは山でそれぞれが生きていくが、この映画は人間が行う環境保護という問題が、「そんな容易いものではない」ということを突き付けていると思った。この映画の持つ鋭いテーマに、「三輪さん」という人が関わっていなければ、ここまで鋭い問いを我々に投げかけなかったのではないかと思ってしまう。
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