年齢を重ねるにつれて、相撲が好きになった。子供の頃は、あの仕切りの独特な「間合い」が何とももどかしく、好きになれなかった。相撲好きの父のせいで、ちょうど同じ時間帯に放送していたアニメを観ることができなかったのも、相撲を遠ざけていた理由の一つだった。
ところが、歳をとるとあの仕切りの間合いにこそ面白みがあるように思えてきた。力士一人ひとりに独自の「ルーティン」があり、それを経ることで集中力を高めている姿が見て取れるようになったからだ。
例えば元大関の琴風は、お尻を叩きながら塩を取りに行き、制限時間いっぱいとなれば、それまでの柔和な顔を鬼の形相へと一変させる。目線は付き人を選んで睨み据えているかのようだった。しかし、その鬼の形相の割に、琴風の相撲は淡白で粘りが薄かった。大関でありながら優勝から遠ざかっていた所以は、そこにあったのだろう。
ところで、先日千秋楽を迎えた九月場所の話である。場所前は霧島の綱取りや熱海富士の大関昇進が話題の中心だったが、両関取とも終わってみれば物足りない結果であった。そんな場所の千秋楽を盛り上げたのは、勝った方が優勝という「相星決戦」、横綱・大の里と大関・安青錦の一番であった。
私は、安青錦の大ファンである。ウクライナから相撲を取るために来日したというストーリーだけで惹かれるものがあるが、それ以上に彼の相撲は粘り強く、決して勝負を諦めない。先場所からの怪我が癒えず、場所前の稽古も十分ではなかったはずだ。それでも11勝3敗で千秋楽を迎えたのである。勝っても負けても表情を変えず、己の相撲を徹底する姿には、ある種の「侍スピリッツ」を感じずにはいられない。
一方、大の里はどうだろうか。どうにも好きになれないのだ。あの恵まれた体格がありながら、ふとした瞬間に精神的な脆さが見えてしまうからだ。押し切れないと見るとすぐに引く癖があり、土俵際でジャンプして時間を稼ぐようなこともある。これが横綱相撲と言えるのだろうか。さらに、花道で出番を待つ際のルーティンも感心しない。付き人相手に目を見開き、寄り目をして睨みつけるような表情を作る。制限時間いっぱいで塩を取りに行く時も、腹を波打たせたり身体を細かく上下させたりと、神経質な面が透けて見える。横綱としての「威厳」が感じられないのだ。まだ若い横綱ゆえに、今後優勝を重ねて成長していくのだろうが、「唯一無二の横綱」への道はまだまだ遠いように思えてならない。
千秋楽の一番は、大の里の圧勝に終わった。得意の左前みつを取れなかった安青錦は、自分の相撲を取らせてもらえなかったのだ。もし左前みつが取れていれば、もう少し面白い展開になっていたかもしれない。
今年最後の十一月場所(九州場所)が控えている。安青錦にはしっかりと怪我を治し、万全の態勢で挑んでほしいものだ。

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