4月18日、河内長野市で子ども未来まなびフォーラム2026が開催された。主催したのは、こども未来まなびプロジェクトという団体だ。どういう団体なのか調べてみたが、もう一つわからない。2023年に3名の男性で結成された組織だという。毎年この時期に、教育に関するイベントを開催しており、今年はあの麹町中学の元校長、工藤勇一氏を招いてのフォーラムが企画された。
更に、工藤氏は河内長野市の教育スーパーバイザーに就任するということなので、多かれ少なかれ、河内長野市の教育に影響をもたらすと考えて、このフォーラムに参加した。工藤氏が行った麹町中学校の改革については、様々な評価がある。彼の教育改革に心酔して、同じような改革を行った校長で、「学校がめちゃくちゃになった」と嘆く人もいる。と思えば、彼は文科省に関わる仕事もしており、地方の教育委員会に関わることもやっている。
そういう人物なので、「彼が一体何を語るのか」と興味をもって参加してみた。
彼が指摘する日本の教育の問題とその原因については、同意する点が多かった。例えば、不登校問題。日本の不登校児童生徒は、35万人に上る。だが、この不登校という概念は、日本と韓国にしかない。欧米では存在しない。何故そうなのかと言えば、極論を言うと、学校教育法にその要因がある。つまり、一条校にしか子どもたちは通えないからである。例えば、中学校に進学しようとすれば、小学校を卒業していなければならない(正確には、同等の学力があると教育委員会が認める場合もあるが、ごく稀)。2年生から3年生に進級しようと思えば、2年生という学年を終えていなければならない。だから、彼風に言うと、日本の子どもたちは、学ぶ場を選ぶことができないのだ。
ところが、欧米では違う。例えば、アメリカでは「保護者は子どもに教育を受けさせなければならない」が、それは家庭でもかまわないのだ。つまり、学校に行きたくなければ、行かなくても良い。自分で学ぶ場を選択できる。保護者も子どもを学ばせる場を選択できるのである。つまり、自己決定権があるのだ。これを彼は力説する。
よって、彼の教育理念の最上位は、「主体性」と「当事者意識」である。この二つを彼はとても強調していた。異論はない。先が見えない世の中で、自らの頭で物事を考え、自分の生きる方向性を見出すことは極めて大事な事であるし、ジブンゴトとして物事を考えなければ、主体性も生まれない。そういう考えで彼は、麹町中学校の校長として6年間務めたのだろう。そして、その後2023年度末まで横浜創英中学・高等学校の校長も務めている。
彼は、このフォーラムの中で何回か、麹町中学校は管理教育に戻ったが、横浜創英は進化を続けていると言っていた。確かに、麹町中学校は、彼が去った後2代校長が変わり、今は3代目の校長になっているという。私は、工藤勇一校長が去った後の学校の立て直しに奮闘する後任校長の記事を日本教育新聞で読んだことがある。なかなか大変だったようだ。
工藤氏も麹町中学校は、管理教育に戻ったと批判しているが、彼の話を聞いてなぜ戻ったかわかった。彼が言っているように、千代田区立麹町中学校は、公立の中学校であるということだ。つまり、麹町中学校の校区に住む子どもたちは、公立の中学校に行こうと思えば、麹町中学校に行くしかないのだ。子どもに選択権はない。保護者にも選択権はない。ということは、彼が行った改革、それもかなり尖った改革に賛同する保護者・生徒も、そうでない保護者・生徒も、どちらでもよい保護者・生徒も麹町中学校に入学してくるということである。ということは、様々な考え、様々な思いを持つ生徒達が、集団で勉強するためには、一定のルールが求められるということだ。彼が最上位に掲げる「主体性」「当事者意識」に納得いかない生徒・保護者も少なからずいるということである。そうなれば、集団生活・集団学習を行うルールが必要になるのは当然で、そのルールは、彼の目からすれば、「管理教育」に映ってしまうのだろう。
一方、横浜創英は、私立学校である。この学校に行くか行かないかは、保護者・生徒に選択権があるのだ。当然、彼が行った改革に賛同しない者はこの学校を選ばない。だから、賛同しないまでも反対しない生徒が入学してくるのである。それが、区立麹町中学校と私立横浜創英中学校・高等学校の最大の違いである。麹町中学校が管理教育に戻らざるを得ないのも当然だろう。
彼は、この日本の教育の本質的な問題点を突きながら(それは私も正しいと思っている)、その問題ゆえに、麹町中学校が管理教育に戻らざるを得ない事情を考慮していない。彼が、「麹町中学校が管理教育に戻ってしまったのは、やはり日本の学校制度の問題なのですよ」というのなら、彼の意見は首尾一貫しているが、話の言外に感じるのは、「自分は崇高な理念に基づいて改革したのに、それを理解しない管理職(+教員)のせいで改革がつぶれた」という思いである。
つまり、彼の教育理念を日本で実現しようと思えば、選択権のある学校、つまり国公立大学の附属校か、私立学校でないと実現できないということだ。

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