小4以下「適当でない」

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 4月25日の読売新聞2面に、松本文科大臣が衆院文部科学委員会で、小学校4年生以下は、完全デジタルの教科書使用を「認めることは適当ではない」との考えを示した。併せて。国語と社会、道徳の3教科については、学年を問わず「当面認めるべきではない」と述べたと記載されていた。妥当な判断だろう。

 小学校中低学年にとっては、デジタルの影響が大き過ぎることは、多くの識者が述べている。現在審議が進んでいる有識者会議でも同様の意見が出されている。とにかく、デジタル教科書に関する科学的な検証が進んでいない中では、拙速な導入は慎むべきである。何回も言うが、このような議論は中教審で行うべきだった。一旦、デジタル教科書を導入すると決めてから、このような議論を行うのは、正直違和感を拭えない。もっと真摯に議論をすべきだったのではないか。

 さて、この記事に対して工藤勇一氏が反論している。彼の4月25日のFacebookには、次のように記載されている。

「今回の報道に見られるように、『デジタルの使用は年齢や学年によって制限すべきだ』という前提が、あまりにも当然のものとして語られていることには違和感がある。
そもそも子どもの発達は、一律に年齢や学年で区切れるものではないはずだ。」

と述べて、ディスレクシアの子どもたちの例を挙げている。確かに、子どもの発達は一律ではない。だからと言って、小学1年生の児童にデジタル教科書を持たせることが良いことなのかというと、そうではないだろう。有識者の見解も同様だ。それならば、一定のガイドラインを出すことが教育行政として必要となる。その議論をしているのだ。

 確かにディスレクシアの子どもがいるのも事実だ。書かれた文字を読むことは困難な子どももいる。聴覚などに訴えたほうが良い場合もあるだろう。そのような場合は、合理的配慮として、その子どもに適した個別支援を行えばよいわけだ。

 工藤氏が言うように、「大切なのは、『平均的な子ども』を前提に制度を設計することではなく、多様な子ども一人ひとりにとって意味のある選択肢を保障することだ。」というのはその通りだろう。だから言って、多くの低中学年の子どもたちに、デジタル教科書の悪影響を与えて良いという議論にはならない。

 とにかく工藤氏は、子どもに選択権を与えろといろんなところで述べているが、子どものために大人が責任をもって正しい選択をするということも、子供の将来にとっては極めて重要な事ではないかと思う。


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