「全中」は京都伏見クラブをモデルにして改革を!


 9月5日の読売新聞のスポーツ欄に今年開かれた全国中学校体育大会(全中)を振り返る記事が掲載された。なぜなら、今年初めて「クラブ」の全中参加が認められたからである。この記事によると、競技によって参加基準や参加形態にずいぶんと差があるようだ。
 例えば、剣道部門は、個人戦はすべてのクラブに門戸を開いているが、団体戦については「自治体などから地域移行(に関する)と認定された団体」と限定された。しかし、剣道の競技部長は、この規定を外さざるをえないだろうとコメントしている。バスケットボールは、「地域移行の受け皿」に限定したところ、参加チームはゼロだった。陸上競技や体操、新体操は、リレーや団体戦で「全員が同一校に通うこと」を条件にしている。クラブでの参加を認めると、クラブが上位を占める可能性があるからというのが理由である。
 
 なぜ、このような議論が起こるのか。そもそも全中で「中学生日本一」を決めるということに問題がある。前にも言ったが、発達段階の真っただ中である中学生の日本一を決めることに何の意味があるのか。より上位をめざすことで故障やケガを誘発する可能性が大きいだけでなく、中学校での過酷な練習によって、「燃え尽き症候群」に陥り、高校では「ゆっくりしたい」と吐露する生徒も少なからずいる。素晴らしい才能を10代の初期の段階で潰してしまっているのである。やはりトーナメント形式の全中は、要らない。負の要素が大きすぎる。

 そんなことを考えながら、記事を読んでいるとすぐ横に「一発勝負に一石 京都から」という記事が掲載されていた。「京都伏見クラブ」というラグビースクールである。このクラブは、伏見工業高校で主将を務めた坪井一剛さんが設立した。坪井さんは、「1回負けたら中学の3年間が終わるとか、1年生は球拾いや雑用という慣習は、もうやめましょう。全員で楽しく週末を過ごせたら、子どもの成長速度はぐっと上がるから」と力説している。このクラブは、年間リーグ戦を発足させ、全員の出場が義務つけられているのだ。やはり、同じように考えている人がいるのだと思った。全中は、この京都伏見クラブをモデルにすべきだと思う。全中を廃止し、いくら大きくても都道府県範囲、妥当なのは中学生が移動できる範囲でのリーグ戦を組むべきだろう。一度負けたら終わりというトーナメントは、中学生の成長には寄与しない。なぜなら、敗北から学んでそれをリベンジする機会が失われるからだ。
 全中は京都伏見クラブをモデルにしてほしい。

京都伏見クラブ


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