7月13日、帰宅途中に何気に本屋に寄ってみた。すると、文庫本コーナーに司馬遼太郎氏の「ロシアについて」という本が、積まれていた。本棚ではなく、積まれていたのである。そして、その本の横には、「司馬氏はロシアをどう見ていたか?」というようなキャッチコピーがあった。確かそうだと思った。この歴史的転換点において、ロシアを司馬さんはどのように見ていたのかというのは、司馬ファンでなくても興味がそそられる。ましてや、私のように人生の大きな部分を司馬氏の作品の影響を受けた者にとっては、是非とも司馬氏の考えを拝聴したいと思うだろう。早速買った。
家で、巻頭の「ロシアの特異性について」を読んだ。要点を言うと、
①ロシアは欧州と比べて若い国であるからこそ、猛々しい国であること
②モンゴルの遊牧民などの侵略というよりは、破壊と殺戮と収奪を度々受けており、国として成り立ちが遅れていること。
③さらに、キプチャク汗国の成立により259年間と長きにわたり「タタールのくびき」という支配を受けたこと
④この国の支配機構は、人と人とは思わず、生産する道具としてみており、ロシア人の農奴は悲惨を極めたこと。
⑤また、ギリシア正教(後のロシア正教)は、西欧で起こったルネッサンスに関して不伝導であり、「神」から「人間」への回帰がロシアでは、十分に伝わっていないこと
⑥このような状況で17世紀に成立したロマノフ王朝も、前帝国であるキプチャク汗国の流れを受け継ぎ、農奴を苛酷に支配したこと。
⑦以上のことから、武を持って「内」への支配を継続し、「外」からの侵略に対しては極端に敏感なロシアとロシア人が誕生したこと
を示している。わずか、30ページ足らずの小論であるが、どんなロシア解説本よりロシアの本質をついているのではないだろうか?
司馬氏がこのロシアについての評論を書かれたときは、ロシアはソ連であった。ロシア革命についても、ロシアにはツァーリと農奴しかいなかったので、全ての権力を掌握しているツァーリを排除することをすれば、革命は容易だったと述べている。この司馬氏の見解を読むと、ロシアからソ連へ、そして再びロシアに戻った歴史で起こった様々な出来事、例えば、ハンガリー動乱、プラハの春への軍事介入、アフガニスタン侵攻、チェチェン紛争など、ロシアの行動論理が良く理解できる。当然、現在進行しているウクライナ戦争についても、同じ行動論理で実施されている。極端な武に依存する内への圧迫(ウクライナもロシアにとっては「内」に過ぎないのだろう。独立した一国であるという感覚は彼らにはない)と、「外」からの神経質までの脅威(現在は、NATOによる東方への拡大)は、この「タタールのくびき」から始まっているということが良く理解できる。
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