豊臣人と徳川人

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 5月9日の朝日放送で放送されている「正義のミカタ」で最新AIのMythosの事が取り上げられた。システムのバグを発見する能力が素晴らしく、このAIが公開され悪用されてしまうと世界的パニックが発生する可能性があると考えられ、アメリカ政府、IT企業、メガ銀行に限って、アクセス権が認められているらしい。

 番組には、政党である「チームみらい」の党首である安野氏も出演しており、このMythosに関してコメントをしていた。とにかく、日本政府も早くこのMythosに関するアクセス権を得ることが重要であるとのことだ。アクセス権を得ている国・企業、得ていない国・企業で、セキュリティに関して今後は大きな格差が生まれるという。中国もAI大国をめざしている。すでに、ハーフマラソンで人間の記録を大幅に更新した人型ロボットが中国で誕生しており、Mythosレベルに追いつくのも半年後と言われている。日本もAI分野で世界のトップを走るとまで言わなくても、せめて追いつくぐらいでないといけないと安野氏は語っていた。AI分野の進歩はもう止められないことを考えると、国策として力を注ぐことが求められるだろう。

 これだけAIが進展すれば、いずれ人間が追い越されるのではないか、人の労働力が必要無くなるのではないかという不安が出てくるのは当然だ。番組でも芸人のほんこんがおなじような疑問を投げかけていた。その疑問に対して安野氏が、「電卓が誕生した時に、それまでに求められていた力と電卓以後のそれとは違ったと思うのです。」と切り出し、

「AI時代には、今までの処理能力ではなく、何かをやろうと踏み出す能力が求められる」

と語っている。彼は言わなかったが、私流に言わせれば「0→1」の能力である。いくらAIが優秀でも、所詮機械であり、道具である。人間が、AIに対して「○○をしてほしい」と投げかけなければ、AIは仕事をしてくれない。そうすれば、何をAIにさせるのか、まさに0から1を産み出す力が求められるということだ。

 そんなことを考えながら、5月10日の日曜日に新聞を見ていると、中央公論の広告が出ていた。司馬遼太郎の特集が組まれており、歴史学者の磯田道史氏が「徳川的日本人から豊臣的日本人へ」というタイトルで寄稿されていた。私は司馬さんのファンなので、是非読んでみたいとアマゾンで注文をした。なんと当日の夕刻には届いた。これでは、本屋が潰れるのも仕方ないかと思った。

 さて、磯田氏の寄稿文である。彼曰く、日本人は豊臣以前と以後では大きく変わったというのだ。詳しくは読んでほしいのだが、司馬さんも信長・秀吉の方が家康より好きである。それは、戦国時代の躍動感を体現しているからだ。特に、人たらしと言われ、陽気で明るい秀吉が、司馬さんは好きである。そんな秀吉は、夢という言葉を使い、自分の私利私欲を大いに語ったというのである。「公」よりも「私」が優先されているのだ。一方、徳川時代は、「公」が優先される。「滅私奉公」が美徳とされたのだ。だが、磯田氏は、先が見通せない国際情勢やAI時代の到来のなかで、もう一度豊臣時代の日本人に戻るべきではないかと言っている。何も私利私欲のみを追求しようとしているのではない。夢を語り、何かを成そうというエネルギーが重要だと言っているのだ。
 そんな寄稿文の中で、AIについて語っているところがある。少し長くなるが引用する。

「この転換の必要性は、産業構造からも理解できます。製造業の時代は規則に従い集団行動で、工場で滅私奉公する人間の機械化が求められます。徳川人には適していました。しかし今後はAIに『常に問う常問人』となって、『私はこうしたい』と自我の欲と意思を持ち、プロンプト(指示、質問)で明確に発する必要があります。実行手段はAIが示すわけですから、肝心なのは指示の元になる言語能力と感情や欲望です。自由な希望、夢を持てるかも問われる時代になります。」

と語っている。安野氏も磯田氏も、AI時代に必要なのは、「何かをやろうとする意欲」であると述べている。この点からも、現在教育現場で進められている探究的学習というのは、極めて重要ではないだろうか。

 何かに疑問を持ち、解決しよう、実現しようとする豊臣人か、問いを立てようとしても疑問を持たない徳川人かという問題だ。奇しくも二人のトップランナーが、位置する世界が全然違うのにも関わらず、ほぼ同じ内容の事を語ったのはとても面白い。

 こういう視点で、「豊臣兄弟」を見てみると、どんな風に見えるだろうか。


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