山崎ドキュメンタリー映画監督山崎エマ氏の「それでも日本の小学校に通わせたい」という新書についてである。この本は、山崎氏が長編ドキュメンタリー映画「小学校~それは小さな社会~」を完成するまでの自伝である。そして、この映画のキャッチコピーが「6歳児は世界のどこでも同じようだけれど、12歳になる頃には、日本の子どもは、“日本人”になっている」というものだ。教育に関わるものとしては、中々興味を惹かれるコピーである。
実を言うと、この本は私が工藤勇一氏の講演で聞いたことについて、批判的なコメントをブログに掲載した時に、ある人から「こんな本がある」と紹介されたのだ。非常に読みやすい本なので、電車の帰りだけで1週間で読んでしまった。
本題に入る前に、山崎氏の経歴を少しだけ述べておく。
1989年神戸生まれ。イギリス人の父と日本人の母を持つ。
大阪の公立小学校を卒業後、中・高は神戸のインターナショナルスクールに通う
19歳で渡米し、ニューヨーク大学の映画制作学部を卒業後、巨匠サム・ポラードの編集助手としてキャリアを開始。
という経歴の持ち主だ。この本のタイトルにあるように「それでも日本の小学校に通わせたい」というのは、日本で仕事をしていたアメリカ人との間に生まれた自分の子どもの事である。山崎氏がイギリス人の父と日本人の母の間に生まれているので、子どもは「3/4が外国人」と彼女自身が言っている。通常は、幼稚園や小学校段階からインターナショナルスクールに通わせる選択をするのだろうが、彼女はそれでも日本の小学校に通わせたいと考えている。
何故か?それは、彼女がイギリス人と日本人の間に生まれたことによる自分のアイデンティティにずっと悩まされ続けてきたこともあるが、小学校での日本の教育が彼女の中にとても鮮明に植え付けられているからだ。その象徴的なことが、運動会での組体操だ。7段のピラミッドを完成させるために、小学校では何日も、いや何週間も練習する。一つの事を成し遂げるために、個を没して集団のために尽くす、そして達成できたことの充実感ときたらとんでもなく大きいと彼女は語る。そういう、集団を大切にし、集団の中での責任を果たし、コミュニティを大切にする教育が小学校で行われているから、「それでも日本の小学校に通わせたい」のだ。つまり、一言で言えば、(日本人は自覚していないが)日本の宗教である「和をもって貴しとなす」である。
だが、日本の学校に小中高と通っていれば、このことには気づきにくい。彼女が、このことに気づいたのは、中学校から神戸のインターナショナルスクールに通うようになったからだ。そこは、国際バカロレア認定校だったという。ここで、彼女は日本の教育とまるで違う体験をすることになる。個を大切にし、個を伸ばす教育を受けるのだ。そして、日本の社会に息苦しさを感じて、アメリカの大学に進学することを決意する。ここから、彼女のドクメンタリー映画監督としての人生が始まるのだ。
しかし、彼女の中に、集団に尽くす美徳を大事にする日本的な教育の素晴らしさを追い求めたいという思いがあり、アメリカでの成功を投げ捨てて日本に戻ってくる。そして映画の材題にしたのが、高校野球と小学校なのだ。
彼女は最後の章でこんなことを書いている。
「もし私が魔法の杖を持っていて、何の制約も受けずに教育改革ができるなら、小学校までの教育と中学校以降の教育をスパッと切り離し、全く方向性の違うものにしたいです。
型に沿った振る舞い、集団の中での協調性や思いやりは、小学校の教育を通してある程度身に付くことを前提に、その後の中学校以降の教育は、「自分探し」にもっと重点を置いた内容にしてほしい。」
彼女の経験に基づく意見だろう。重要なことは、この日本の小学校と中学校以降のインターナショナルスクールに通うことを決めたのは彼女ではない。両親なのだ。両親が子どもの将来を考え、日本的教育と国際バカロレア教育を子どもに受けさせたのである。
なんでも子供に選択させればよいというものではないことの例だろう。
今後、子どもが大きくなって中学生になる時がきたら、彼女はインターナショナルスクールに通わせるのだろうか。おそらくそうだろう。彼女は、自分が経験していない中学校以降の日本の学校について懐疑的なことを言っている。やたらルールが多いと。それならば、現在進んでいるルールメイキングの取組をドキュメンタリー映画として撮ってほしいなと思う。彼女の視点では、どんな映画になるか楽しみだ。

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