7月10日、マスコミは袴田事件の再審について、検察が有罪を立証する方針を裁判所に提出すると報道した。多くの専門家、マスコミの論調が示しているように、「検察は何を考えているのか?」「有罪を立証できると考えているのか?」「今までに反論する機会はいくらでもあっただろう」「有罪を立証する壁は相当高い」とコメントされている。それにもかかわらず、裁判で争うというのである。ある意味、嫌がらせでしかないように思う。事実、嫌がらせではないか。なぜなら、再審決定をした東京高裁で「検察による捏造」の指摘まで受けたからだ。検察としては、そこまで言われて引き下がるわけにはいかないという「変なプライド」による嫌がらせではないかというのも、あながち外れていないのではないかと思う。
戦後から1960年代ぐらいに発生した事件では、明らかに冤罪だろうと思う事件がやたら多い。これは警察・検察の捜査方針が自白の強要、科学的捜査の軽視、その反対の刑事のカンという偏見があるためだ。つい最近も取り上げられていた帝銀事件は、誰が見ても冤罪だろう。松本清張氏が追求したように、犯人は731部隊の日本軍関係者というのは極めて濃厚である。帝銀を訪れた犯人と真正面で対応した銀行員が、一貫して平沢ではないと主張しているのだ。これほど有力な情報があるにも関わらず、平沢が逮捕されたのは、なんとも政治的なにおい、それも占領下のGHQがらみの匂いがする。
もう一つ、冤罪事件であるが、あまりマスコミも取り上げないのが、狭山事件である。逮捕された石川氏は、被差別部落の出身ということもあり、昔から部落解放同盟が大きく取り上げてきた。この事件も、1963年3月に発生したよしのぶちゃん誘拐殺害事件のわずか2か月後に狭山市で女子高生が殺害された事件である。よしのぶちゃん事件で、犯人逮捕に時間を要し、かつよしのぶちゃんを助けることができなかったことで、マスコミは警察を叩いた。よって、警察としては何としても狭山事件の犯人を検挙しなければならなかった。この狭山事件については、学生の時に現地調査を行ったことがある。捜査過程の話も聞いて、かなり不審な点があることも勉強した。今でも再審請求がなされている。
とにかく、1960年代以前の事件は、冤罪に結び付く捜査が多く発生している。今回の袴田事件も同じだ。検察や警察は、組織の対面や偏見、非科学的な捜査や論理を投げ捨て、事実に目を向けてほしいと思う。
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