1月17日の読売新聞の「The論点」に高校の制服か私服かというA論B論が掲載されていた。制服派で紹介されていたのは、茨城県立下妻第一高校で、創立125周年の伝統校だ。附属中学校の設立を機に制服を刷新したが、伝統の黒色は継承したという。私服派で紹介されていたのが、東京都立井草高校で、指定の制服がない。服装は自由で毛染め・メイク・アクセサリーの着用も認められている。
記事を読んでみると、よくある制服・私服の論点が紹介されていた。新しいことはほぼ無かったと思える。私は、取材の対象が高校であったところに、少し課題があると思う。というのも、日本の高校進学は、国公立・私立も併せて「選択できる」という制度だからだ。だから、制服か、私服かという論点で言えば、その高校の「スクールアイデンティティ」に従えば良いのではないかと思うのだ。事実、紹介されている二つの学校は、スクールアイデンティティを明確にしたうえで、制服か私服かを選択している。高校を選ぶ中学生もどのような高校かを見極めて進学すれば良いわけで、スクールアイデンティティを投げ捨ててまで、制服・私服を転換するには、相当な労力が必要になり、そこまでして労力をかける必要があるのかというところは、大いに議論の余地があるだろう。
大阪の公立高校の場合、制服ではない学校も少なからずある。まったく制服が無いという学校もあるが、標準服という形態を採用している学校が多い。例えば、
〇入学後1か月間は標準服を着用して学校生活を送る
〇式典の時は、標準服を着用する
〇学校外の特別活動時は標準服を着用する
〇週の初めは標準服を着用する
というようなルールである。これは、私服と制服の双方の長所を取り入れ、短所を克服する取り組みだ。私服だと生活格差が問題になるが、標準服を設定しているので、全員が私服で学校生活を送っているわけではない。標準服を着用したり、私服と組み合わせて着用したりしている生徒も少なからずいる。それぞれの生徒の個性を生かし、自主性をも尊重しているのだ。その一方でスクールアイデンティティや連帯感、帰属意識を育てるために、入学式・卒業式はもちろんのこと、始業式・終業式等には標準服の着用を義務づけている。校外で文化的行事(音楽鑑賞や演劇鑑賞等)も標準服着用だ。うまく考えられた制度ではないか。
私が、最後に校長を務めた高校では、「自主規制」と言って、自治会が自ら定めた私服に関するルールがあった。私服であっても自分が通う高校としての誇りを守ろうというものである。今でいう「ルールメイキング」である。この取り組みは、もっと注目を浴びて良いのではないかと思うのだ。先進的な取り組みのように思う。
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