新年明けましておめでとうございます。旧年中は大変お世話になりました。また、たくさんの方にこの拙いブログを訪問していただき、感謝申し上げます。今年も自己実現を主眼に、ブログで自分の意見や感想を発信していきたいと思います。
さて、毎年元旦の日には、各社の新聞の社説を読むようにしています。日本の論壇をリードしようという各新聞社が、今年をどのように考えているかを知るためです。読んでいて、さもありなんと感心したり、考えさせられたりします。
読売新聞は、「3つの危機」ー平和の危機、民主主義の危機、自由の危機を主張していました。これは、各社に共通することですが、やはりウクライナ戦争がどうなるか、中東情勢がどうなるかという大きな問題があるからでしょう。この危うい政治情勢に、トランプ氏が大統領に就任するという強烈な要素が絡んでくるので、先行きは本当に不透明です。
朝日新聞は、国家と社会という二元論的な主張をしていました。国家の力が強いロシアで、反戦の陣営が弾圧されていること。一方、バングラデシュで、強権的な政権が学生の抗議を発端に打倒されたことーこれは社会(私は民衆と置き換えても良いと思う)の力を示すものとして示されています。
因みに私はこの冬休みの宿題として、エマニュエル・トッド氏の「西洋の敗北」を読もうと思っています。まだ、第1章を読んでいるばかりですが、彼の主張は一貫しているうえに更に進化しています。西側諸国にいると、ついつい同じ価値観でしかニュースに触れないのですが、トッド氏は、なぜロシアはまだ戦争を継続できているのかということを様々なデータで証明しています。自殺率、殺人率、乳幼児死亡率、そして若者の中のエンジニア率、このどれをとってもアメリカ社会よりは良い結果をロシアは示しているのです。SWIFTから切り離されたとき、ロシアは痛烈な打撃を受け、ロシアの経済は立ち行かなくなるというのが、西側諸国の見解でした。しかし、ロシア経済は安定しているのです。逆に痛撃を浴びたのは、英・独・仏という欧州の国々ではないかと思います。英では、与党が敗北し、独仏でも政権与党が大敗しました。ウクライナ侵攻が始まったとき、「プーチンの狂気」と言われましたが、プーチンは、正常な思考回路でウクライナに侵攻したという事実を、西側にいる私たちはもう一度捉えなおす必要があると思います。朝日新聞のような主張をしていると、ロシアやプーチンの評価を見誤る危険性があります。
産経新聞は、さすが産経という内容で、防衛力の強化を訴えていました。面白いと思ったのは、毎日新聞です。社説ではないですが、「デモクラシーズ」というシリーズです。第1回の今回は、直接民主主義に触れています。スタートアップ企業のリキタスが開発したリクリッドというプラットフォームを紹介していました。これは、自治体が設定したテーマに市民の意見を吸い上げるプラットフォームで全国で60自治体が導入しているということです。デジタル時代だからこそ可能になった一種の直接民主主義のツールであるという紹介です。
そして、各社が触れていたのは、SNSについてです。昨年は、選挙を通じて、SNSの「光と影」がまざまざと目の前に見せつけられた年でした。今年は、都議選・参議院選(もしかしたら衆参同日選)があります。発信する側の責任、そして受け取る側の能力・資質が問われることになるだろうと思います。
今年の各社の主張を読んで、想定したものが多かったように思います。民主主義国の交代、欧米での分断、核戦争の危険性の高まり、国内少数与党の不安定さなどが言及されていました。ここで、ふと考えました。私なら何を主張するだろうかと。そう考えたときに浮かんだのが、
「多神教を見直そう!」
という言葉でした。この年末、2回ほど教会に行き聖書の勉強をしました。私は、元来無神論者です。宗教というものを科学の対象として見つめようと思っています。もっとも明快なのは、ヘーゲルの疎外論ではないかと思っているのです。この点については、またどこかで話したいと思います。
キリスト教会に行くと、聖書の教えが説かれます。聖書が正しいことを教えられるのです。特にイエス・キリストが処刑された3日後に復活した「奇蹟」が大きく取り上げられますが、いくら考えても科学的ではありません。しかし、全世界で22億人もの人間が、教会でこの話を手を変え品を変え聞かせるのです。これって、今風に言えば「エコーチェンバー」じゃないでしょうか。同じ話を何回も聞き、同じ仲間と理解し合い、共鳴し合う。まさに「エコーチェンバー」そのものです。そしてキリスト教徒は、聖書が正しいと信じます。同じことがイスラム教会でも行われているのです。イスラム教徒はコーランが正しいというでしょう。信じれば信じるほど、過激になり他の宗教を排斥します。それはなぜか?ユダヤ教の神もキリスト教の神もイスラム教の神もGODで同じ神だからです。神の言葉を預かった人間が違うのです。それは、モーゼであり、イエス・キリストであり、モハメッドなのです。一神教であるがゆえに、同じ神を信じながらそれぞれ神の下さった言葉(預言)が違うから争いが起こります。宗教的な違いが対立に発展し、政治的な対立になり戦争に至るのです。今の中東情勢はまさにこの極みです。
ところが、日本は八百万の神の国です。多神教の国なのです。だから、あなたが信じる神と私が信じる神が違っても良いのです。浄土真宗は阿弥陀様を信じ、武士は八幡大菩薩を崇めます。真言宗は大日如来を崇めるのです。それぞれがそれぞれで良いのです。日本人全てが宗教を生活の根本に据えているわけではありませんが、この多神教の精神が日本人の根本にあるように思うのです。この混とんとした対立と分断の世界を対話と友好の世界に導けるのは、もしかしたら日本人なのではないかと思うのです。
昔、海外に行った時に外国人は日本人に対して「あなたの宗教は何ですか?」と尋ねると聞きました。そして日本人が答えられないと馬鹿にされると聞きました。「あなたは神を信じないのか?」と言われるのです。これから「あなたの宗教は何ですか?」と聞かれたら、「私は多神教です」と答えたらどうでしょう。「あなたの神を私は尊重します。と同時に私の神も同じように尊重してほしい。互いの神を尊重しましょう」と、胸を張って言えばどうでしょうか。それが、対立と分断を解決する道につながるように思います。
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