昨日、オスロでノーベル平和賞の授賞式があった。ご存じのように日本被団協が受賞した。被団協の代表委員である田中氏がどのような受賞挨拶をされるのか、注目して聞いていた。約20分間の挨拶であったが、田中氏は淡々と受賞のお礼を述べ、自らの被爆体験を語り、核兵器廃絶を訴えられたという印象を持った。一つ一つの言葉の裏にある被団協の活動の歴史の重みを感じるスピーチであった。そんな田中氏のスピーチの中で、唯一と言っていい程、感情が表に出た場面があった。日本政府の被爆者への対応だ。この場面である。
1994年12月、2法を合体した「原子爆弾被爆者に対する援護に関する法律(被爆者援護法)」が制定されましたが、何十万人という死者に対する補償は一切なく、日本政府は一貫して国家補償を拒み、放射線被害に限定した対策のみを今日まで続けてきています。もう一度繰り返します。原爆で亡くなった死者に対する償いは日本政府は全くしていないという事実をお知りいただきたい。
田中氏は、日本政府が被爆者への償いを全くしていないことを二度繰り返し語っていた。まさに、怒りのメッセージだ。私も学生の頃、毎年広島に出向き、原水爆禁止世界大会に参加してきた。そのころから、「国家補償に基づく被爆者援護法の制定」は、大きなスローガンとなっていた。国の責任を認めようとしない日本政府。この姿勢は、核禁止条約の批准どころか、オブザーバー参加さえしていない姿勢にも表れている。石破首相は、被団協の受賞に対して祝意を述べつつも、核抑止論を強調した。林官房長官は、さすがに核廃絶と核抑止の両方を示していたが、アメリカの核の傘の元にある日本の政治的立場をこんなところでも石破首相は表明するのかと、唯一の被爆国として情けない思いだ。
確かに、今世界は危うい状況に動いている。ロシアのプーチン、北朝鮮のキム・ジョンウンなどの核兵器の信奉者は、核の使用をちらつかせながら、世界を脅している。核使用の脅威が増す中で、現実の国際秩序を維持しようとすれば、核抑止論も必要であろうと思う。しかし、その一方で、核廃絶に向けた努力は、それ以上に重要なのである。この被団協のノーベル平和賞の受賞を機に、日本の核禁止条約会議への参加を促したい。今、日本の国会は、少数与党の状態である。国会で、核禁止条約禁会議へのオブザーバー参加の決議はできないものかと思う。公明党は、「平和の党」をモットーとしている。今こそ、核禁止の運動の最前線に参加すべきだ。唯一の被爆国としての責務だろう。
最後に、田中氏は「次世代に求めることは?」というマスコミの質問に対して、「自分の頭で考えること」と即座に答えられたことが印象的だった。長年、核廃絶の運動に携われてきたからこその言葉だろう。
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