何のための懇談か!

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 5月1日に熊本県水俣市で水俣病の患者・被害者団体と伊藤環境相との懇談で、水俣病を発症しながら水俣病とは認定されずに悔しい思いをしながら亡くなった妻の事を語る団体側の男性の発言途中に、環境省の役人が、マイクの音を切っていたと報道があった。9時のNHKニュースも詳細にこのことを伝えていた。環境省側は、「事前に各団体は3分内で発言を」と通知しており、「事前に伝えた発言時間を超過した」と説明しているが、そういう問題かと思う。環境省は水俣病の被害者の声を聴く気があるのかということだろう。ニュースでは、伊藤大臣は次のように言っていた。「新幹線と飛行機で東京に帰らなければならなかった。そのための措置だろう」と。こんな答弁しかできない環境大臣を誰が信頼できるだろう。職員のマイクを切るという措置を窘め、継続して被害者の方の話を聞くべきだったろう。そうすれば、環境大臣の株も上がるし、信頼も増す。自民党への不信感が爆発寸前まで膨れ上がっているのに、こんな資質の大臣しか自民党にいないのかと思わせる出来事だ。

 附属中学校の校長をしている時に、公民の授業だったと思うが、実習生が水俣病などの公害問題を取り上げていた。私の世代では、公害問題は日本の高度経済成長の負の部分を示しており、日本各地で公害問題に対する凄まじい運動が展開されたと記憶している。特に、水俣病は現在も裁判闘争が続く大きな問題だ。しかし、中学校の教科書を見てみると、公害問題があったこと、現在は工場からの汚染水の排出も行われていないこと、水俣市が環境推進に取り組んでいることは記載されているが、どんなに住民が苦しみ、どれだけの運動があり、その裁判は今も続いていることは、これっぽっちも記載されていない。実習生の授業も教科書に沿った内容で、公害問題の授業としてはスカスカである。
 研究授業の後に、校長室に訪ねてきた実習生に聞いてみた。「君は、水俣病についてどれだけ調べたのか?」と。そうすると、「ネットで昨夜調べました」と返答が来た。もう開いた口が塞がらない。私は、「君が今日授業した水俣病の問題には、凄まじい運動の歴史があったことを知っているか。そのことを語らずに、結論だけを伝えて生徒たちは、この問題に真摯に向き合えることができると思うか」と伝えた。これが、国立大学の教員養成系の学生の資質と能力なのだ。こんなことしか考えられない学生に、「探究的な学び」やOECDが進める「ウェルビーイングをめざすエージェンシー」を育てる教育などは、期待できないと思わされた。

 マイクを切った環境省の役人も、言われたことだけやればよいと思っている役人根性丸出しの人間なのだろう。100歩譲って、大臣の帰る時間を気にしているならば、大臣からの指示を待てばよい。少なくとも上司からの指示があったという形にすべきだろう。マイクから聞こえてくる「話をまとめてください」という声には、氷のような冷たさを感じさせた。妻を亡くした悔しさを語る男性の思いを受け止める気持ちなど微塵もない。私が出会った実習生といい、なぜ、こんな大人が育ったのだろうと思う。


“何のための懇談か!” への2件のフィードバック

  1. NORIMI FUjIMOTOのアバター
    NORIMI FUjIMOTO

    行政、役人はロボットか、とい言いたいところだが、ロボットに失礼だと思い返した。

  2. yoshichika1121のアバター
    yoshichika1121

    そのとおりですね

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