10月18日の読売新聞の朝刊に、「新たな教科書『紙中心』」「大臣指針案 デジタルは補助」「完全デジタル小4以下は認めず」という見出しで記事が掲載された。2030年度以降に小中高で導入されるデジタル教科書の在り方を示す「大臣指針」の素案が明らかになったという。
素案では、新たな教科書は基本的に全学年・教科でハイブリッドを中心とし、小5以上は「主に紙」、小4以下はデジタル部分をより限定した「おおむね紙」で構成することを明記している。完全デジタルの教科書は小4以下では認めず、小5以上も英語のほか、音楽、美術といった実技系教科などに限定するという。
このような素案になったのは、有識者会議で発達心理学の専門家から「年齢が低い子どもは認知機能が発達途上にあり、デジタルの影響が大きい」「紙の活用が学習で効果的」といった指摘があったからだ。子どもの発達を考慮すれば、これは妥当な「大臣指針」と言えるだろう。
しかし、この「大臣指針」を見てみると、これまでの中教審での議論はいったい何だったのかという疑問が残る。デジタル教材をデジタル教科書に「格上げ」してきたこれまでの議論からすれば、大きく後退していると言わざるを得ない。本来、中教審こそが、有識者会議で行われているような専門的かつ多角的な議論を徹底的に行う場ではないのか。専門家の間で意見が分かれる話題であるからこそ、侃々諤々の議論を重ねるべきである。
このような事態を招いた背景には、文部科学省の教育行政の姿勢に根本的な問題がある。自らが描く方針にお墨付きを与えるために、賛成する委員を選任して議論を形骸化させる。事務局(官僚)が用意した既定路線に沿って了承を取り付けるという手法では、十分な議論など望むべくもない。これでは中教審も「御用団体」化してしまう。
あらかじめ結論の決まった予定調和の時代は、もはや終わっている。多様な意見を交わしながら最適解を見出していくのが現代のあり方ではないか。昭和の時代の教育行政のやり方を令和の時代にそのまま踏襲することこそ、そもそもの間違いである。

コメントを残す