生徒の意見はどうなの?

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4月8日に第二東京弁護士会の子どもの権利に関する委員会が、東京23区内の公立中学校等における校則の見直し状況に関する調査報告書(報告書は3月25日付)を発表した(下記URL参照)。報告書によると、対象となった374校のうち、199校(約53%)で校則に何らかの変更があり、特に服装や頭髪に関する規制緩和が目立ったという。
 その一方で、新たな制限が設けられる事例もあったという。
※ワイシャツの裾出し禁止規定を追加した。
※スカートの丈や折り込みに関する制限を新設した。
※アウター類の着用を通学時のみに限定する。
※通学カバンのキーホルダーを1個までに制限した。
※帰宅後の私服での外出時に制服着用を禁止。

などである。「?」と思う。というのも、この校則の改訂に関して、生徒はどこまで関与したのだろうかという事だ。

 「ブラック校則」と言われて、学校の校則が問題視され始めた。この「ブラック校則」に関する取り組みから、「ルールメイキング」という教育実践が行われている。「ルールメイキング」で重要なことは、校則改定に向けた生徒の主体的な参画である。1日の大半を過ごす学校生活のルールを、学校側から一方的に決められるのではなく、より快適な生活を送るにはどうすればよいかを教員と生徒がともに考え策定する取り組みである。 

 こう考えたときに、上記の※印のようなルールはどのようにして決まったのだろうかと思う。どうも「教師が一方的に決めた」という匂いがしてならない。例えば、
※通学カバンのキーホルダーを1個までに制限した
というルール。2個はダメで、1個は良い合理的な理由があるのだろうか。例えば、高校生の通学カバンを見ると、やたらキーホルダーを付けている生徒がいる。それは、そのキーホルダーをつけることが、その子のアイデンティティとなっている成長段階にあるのだろう。しかし、そんな「キーホルダー高校生」が高校卒業して進学したり、就職したりした段階で、自分のカバンに「キーホルダーをつけまくっている」のは、あまり見ない(時々そういう人を見るが)。つまり、たかがキーホルダーだが、その生徒のアイデンティティに関わるアイテムなのだ。だから、別に自由で良いではないかと思ってしまう。
 しかし、この「キーホルダー1個」のルールも、生徒が参画して決めたのなら、意味がある。学校は、生徒が生活する場であるととともに、勉強をする場であり、10代の若者を大人へと成長させる場である。これが、学校という社会的装置の存在理由だ。学校のルールというのは、この存在理由に照らし合わせて考えるべきなのだ。そうすれば、自ずと結論が出てくる。例えば、キーホルダーを1個にしなければ、学校の目的が達成できないのであれば、このルールにも合理的な意味が存在する。砕けた言い方をすれば、キーホルダーをたくさんつけた生徒が一定数存在し、休み時間や授業中までもキーホルダーの事が頭から離れず、勉強が手につかないような生徒が少なからずいたり、キーホルダーを巡って嫉みや争いが絶えず、学校秩序が維持できなかったりするならば、このルールも意味があるという事だ。しかし、そんなことって現実的にあると思いますか?

もうひとつ、こんなルールもある。これは、記事には載っていない内容だ。何かというと、報告書にこんな内容があるのだ。

2024年度の調査では、学校外の⽣活に関し、他校の⽣徒に学校の噂話をしないとの校則を加えた学校が、少なくとも1校ありました。また、新たに、帰宅後の外出時に標準服や体操着を着⽤することを禁⽌した学校が数校ありました。

学校外の生活についてまで、なぜ学校が決めなくてはならないのかと思うだが・・・学校外は、家庭と個人の責任において行動するものではないのかと思ってしまう。私が、高校の教師を長年務めたから、このように思うのかもしれない。義務教育の先生とは、違う感覚なのかもしれない。

 とにかく、学校のルールは、学校という社会的装置の存在理由に基づいて決められ、内容も判断されるべきであること、そして、学校を構成する教員と生徒(そして保護者)によって決められるべきだという事が重要だと思う。そうすることで、生徒の主体性と責任感も育つだろうし、OECDがめざすAgencyも育成されると思う。

https://niben.jp/service/service_school-rules2024.pdf

https://news.yahoo.co.jp/articles/4820f404f131d9e559d61ccdb9107b00018b7102


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