なぜ、こんなことが起こるのか?


 不思議でならない。11月22日の読売新聞にこんな記事が掲載されていた。以下、記事からの抜粋である。

 いじめ被害を訴えていた神戸市北区の市立中3年の男子生徒(15)が今年10月に自殺したとみられる問題で、生徒が亡くなる直前まで年間30日以上の欠席をしていたにもかかわらず、学校がいじめ防止対策推進法の指針に基づく「重大事態」として対応していなかったことがわかった。市教委は学校の対応に問題があった可能性があるとして、年内にも第三者委員会を設け、経緯を調べる。

 この男子生徒は、中学校に入学直後からいじめの被害を訴えていたらしい。2年生の秋ごろから休みがちになり、今年も6月以降はほぼ欠席している。明らかに「重大事案」である。学校は教育委員会に報告し、教育委員会は首長まで報告することが求められ、調査組織を立ち上げ、調査を開始しなければならない。神戸市教委は「なぜ亡くなる前に学校が重大事態として対応しなかったのかわからない」と述べている。

 学校現場を知る者として、なぜこんなことになったのか、その要因を考えてみたい。
 第一に、クラスの生徒の状況を担任任せにしていなかったかという問題である。しかし、小学校と違い、中学校は教科担任制なので、この男子生徒が所属するクラスを教えに来る教師は、この生徒が長期欠席になっていることは知っているはずである。それならば、担任がいじめ事案を隠ぺいし、「不登校事案」として学年や学校に報告していたことが考えられる。このような状況になっていると、なかなか学校の中で生徒の状況は共有しがたい。それでも、学年、学校で話題にならなかったのだろうか?
 第二に考えられるのは、教員の横のつながりである。これを専門用語で同僚性と呼ぶが、教員同士、情報交換・情報共有はもちろん、お互いの資質・能力の向上に向けて切磋琢磨することが必要である。しかし、この同僚性が高い学校と低い学校がある。同僚性が低いと、他の教師、他のクラス、他の教科に我関せずという姿勢が蔓延し、学校としての機能が著しく低下する。挙句の果て、このようないじめ事案については、担任個人の責任に帰着させてしまい、組織として対応しなくなる。
 第三の問題は、管理職の姿勢である。管理職が問題を忌避し、事なかれ主義の姿勢を示しているとき、事態は悪化する。担任や学年主任が管理職に報告した時、嫌な顔をしたり、教員をむやみに叱責したりすると、情報を管理職に報告する風土が生まれてこない。教員は「管理職に情報を報告しても何もしない」と思ってしまうのだ。これが、第二で示した状況、そして第一の状況を産み出してくる。

 今後、第三者委員会が設置され調査が行われるが、以下の点がポイントになる。
①学校はいじめの訴えを把握していたのか。そして、その状況をどこまで共有していたのか
②いじめに関する事実確認の調査を行ったのか。そしてその結果、いじめの有無についてどのように判断していたのか
③生徒が長期欠席の状況になったときに、重大事態という対応をしなければならないことをどこまで認識していたのか
という点である。徹底的に調査を行ってほしいと思う。第三者調査委員会が、教育委員会や学校に忖度するようなことが無いように願いたい。

何せ、教育委員会のいじめ担当の首席指導主事が、いじめを揉み消した神戸市教育委員会なのだから。
マスコミも徹底的に学校の問題を浮き彫りにすべきである。学校はマスコミ対応を管理職に一本化するが、管理職に対しては、容赦なく質問をぶつけてほしいと思う。子どもを亡くした親の気持ちになると、この状況は耐えられない。


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