STEAM教育とAgency


 兵庫教育大学の附属学校園は、STEAM教育に力を入れているようだ。兵庫教育大学がSTEAM教育に力を入れているからだろう。文科省や経済産業省が、society5.0を打ち出していることを受けて、学校現場の文理融合、STEAM教育に力を入れている。私がOECD 2030Educationを勉強する中で思ったのは、どうもSTEAM教育を拡大解釈しすぎているのではないかということである。少し、この問題を整理してみたい。

 STEAM教育は、アメリカで提唱された教育理念で、アメリカで何らかの教育理念が提唱されると、よく日本に輸入されてくる。STEAM教育もその一つだと思われる。STEAM教育とは、何か。

科学(Science)、技術(Technology)、工学(Engineering)、芸術・リベラルアーツ(Arts)、数学(Mathematics)の5つの領域を対象とした理数教育に創造性教育を加えた教育理念。知る(探究)とつくる(創造)のサイクルを生み出す、分野横断的な学びです。(STEAM教育って? | STEAM JAPAN (steam-japan.com)

 これが、端的にわかり易いSTEAM教育の定義だろう。元々は、STEM教育でAは無かったが、後にArtが付け加えられたが、Art=芸術と解するよりは、リベラルアーツと解する方がしっくりとくる。要は、科学的な思考方法を取り入れた創造性を重視する教育なのだ。
 日本では、高校教育の1年生の段階から、理系・文系の選択が迫られる。欧米、特に欧州ではこんなことはありえない。何故か?入試科目が文系学部と理系学部で違うからである。昔は、高校2年生段階で理系、文系を選択していた。理系を選択しても古典の学習はあったし、日本史の勉強もあった。文系でも数学Ⅲは勉強しなくても数学Ⅱbまではしっかりと勉強したし、化学と生物は履修した。文系・理系の違いは、数Ⅲや物理を学習するからどうかが大きな分かれ目であった。ところが、週5日制になって高校のカリキュラムが、とても窮屈になってしまい、大学入試に対応するためには、高校2年生から理系・文系を分けざるを得なくなってしまった。さらにカリキュラムの柔軟化が進み、数学Ⅰ&数学Aしか学ばない高校生や日本史を学ばない高校生が出現してきた。この歪はとても大きく、大学での初年次教育に大きく悪影響をもたらしている。社会に出れば、文系や理系関係なく、エビデンスに基づいた議論が求められるにも関わらず、文系はエビデンスを示さずに夢のような話ばかり語り、理系はデータばかり駆使して創造性に欠けるという事態なのである。この事態を解決するために、文理融合、STEAM教育が提唱されるようになった。しかし、これは高校での学習の話である。義務教育では、同一カリキュラムで学習しており、理系・文系の差はない。義務教育段階は、何が重視されるかと言えば、先ほどの定義からすれば、「知る(探究)とつくる(創造)のサイクルを生み出す、分野横断的な学び」が重要となる。そこで、重要となるのがOECDが提唱するAgencyである。

 OECDが提唱する2030Educationでは、「well‐beingをめざすagencyの育成」が求められている。well-beingは、「幸福」と訳されるが、実は2030Educationで提唱されているwell-beingとは、「幸福」だけの意味ではない。次のような項目の意味が含まれている。
①健康状態
②ワークライフバランス
③教育と技能
④社会とのつながり
⑤市民参加とガバナンス
⑥環境の質
⑦生活の安全
⑧主観的幸福
これがwell‐beingと言われるものであり、このような概念を実現するために、Agencyを育成するというのがOECDの提唱である。STEAM教育では、「何のために、知る(探究)とつくる(創造)のサイクルを生み出す、分野横断的な学び」をするのかという目的が語られていない。語られていてもそれはSTEAM教育を拡大解釈をしていると言えるだろう。このように考えると、OECDの「well‐beingをめざすagencyの育成」とSTEAM教育のどちらかが上位の概念かと言えば、「well‐beingをめざすagencyの育成」であるのは明らかだろう。そこで、私は次のように整理している。

めざすのは、well‐being、それを実現するために必要な資質・能力はAgency、そしてその時に用いる手法がSTEAMである

と。このように整理しないと、STEAM教育が全てを包括するという誤解を産み出す。そして誤解は、綻びを産み出し、STEAM教育も一過性のものとなるだろう。

最後に、松下佳代教授が提唱する「対話型論証モデル」とSTEAM教育の関係だが、対話型論証モデルでは、事実と解釈の間に必ずエビデンスが求められる。このエビデンスをどのように提示するかというときに、STEAM教育の意義があるだろう。あまりにも広くSTEAM教育を定義するよりは、どのような概念として定義するのか、特にOECDの提唱する概念との整理をきちんとすべきだろう。ここでは、教科横断型の学びについて触れなかったが、国際バカロレアが提唱する概念教育、そしてコミュニティプロジェクトは似て非なるものであることを付け加えておく。より深い学びは、明らかに概念教育なのである。

以上が、昨年度兵庫教育大学附属中学校で先生方と議論した結果たどり着いた私の結論である。どうも、また逆戻りしたようだ。


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