物議を醸す合田哲雄氏の記事

,

 現学習指導要領の産みの親である合田哲雄氏の以下の記事が、教育関係者で話題になっている。

教師という仕事の価値は下がるどころか、むしろ高まっている 【教師という仕事の価値を高め、失われた自信と信頼を取り戻すために 今、求められる教師像とは? #01】

という題名の投稿だ。連載物でまだ1回目だから、氏はこれから持論を展開されると思われる。議論のタイプは二つで、氏の意見に賛成、つまり「主体的・対話的で深い学び」の意義に賛成し、教師の役割・意義はますます重要であるという意見。それとは反対に、この超忙しい学校現場に新しい「主体的・対話的で深い学び」などというものを持ち込んで、実践できると思っているのか、という意見。どうも、この2種類に集約されていくように思われる。ところが、この2種類の意見は、議論が嚙み合っていない。どちらも事実を反映し、どちらも重要だからだ。そこで、以下、私の考えを述べてみたい。

 そもそも、新しい現行の学習指導要領で「知識・技能」・「思考力・判断力・表現力」「学びに向かう人間性」という新しい学力観が、なぜ打ち出されたかということである。それは、世界の教育の潮流が、すでにこの流れになっているからである。OECD2030を持ち出すまでもなく、すでに世界はこの流れの中で教育を実践している。すなわち、コンテンツベースの教育からコンピテンシーベースの流れになっているのだ。そして、chat GPTなるものが登場したことで、益々この流れが加速することになる。残念ながら、日本の教育はこの世界の流れから周回遅れの現状となっており、3~4年前に議論にされた高大接続改革も中途半端な形で頓挫してしまった。だから、現行の学習指導要領でコンテンツベースからコンピテンシーベースに教育内容を切り替えたのは、世界の潮流に乗り遅れないため、AI社会に乗り遅れないためのギリギリ間に合ったか間に合わなかったかというところなのである。だから、合田氏が提唱した今回の学習指導要領の方向は、私は正しいと思っている。合田氏に反対する人も、この点では異論が少ないのではないだろうか。

 ところが、いざコンピテンシーベースの教育を実践しようとすると、現在現場で働く教員のほとんどがコンテンツベースの教育しか受けていないという厳しい現実に直面するのだ。すなわち、自らが受けてきた教育を否定しないまでも「発想を180度転換する」というコペルニクス的転換を現場教師は強いられることになる。ただでさえ、●●教育、◇◇教育と現場に様々な要求が求められている中で、根底から教育の在り方を覆すことを求められたら、教師が受ける精神的・肉体的負担とストレスは、極値に達するだろう。それが、上記のような反対(というよりは反発)という声になっているように思う。私も新しい学習指導要領が提唱されたときは、「これは大変だ」と感じた。当時大阪府立高校の校長していた私は、「これは、新しい教育を進めるアクセルと先生方の働き方改革を進めるブレーキを同時に踏むことが求められる」と思ったからだ。管理職としては、本当に綱渡りのような学校経営を強いられると思った。教育委員会も学校現場の管理職も、この「綱渡り」に対して、十分な施策を打ち出して、このアクセルとブレーキを同時に踏むことができていたかいうことを振り返らなければならない。今までの●●教育の導入と同じように、現場に丸投げ状態では、学校現場が悲鳴を上げるのも当然だ。

 そこで、私が行ったのは、「教育産業との連携」である。当時、民間レベルでは、探究学習を中心にコンピテンシーベースの教育プログラムがいくつか開発されていた。高校レベルでも「総合的な学習の時間」が「総合的な探究の時間」に先行実施されることを受けて、各学校の計画が根本的な見直しが求められたのだ。教科書もない「総合的な探究の時間」の計画立案、それも自らが経験したこともないコンピテンシーベースでの教育を求められたのである。いきなり、ハードルが上がった感じである。私が連携したのは、それまで実績を積み上げてきた「教育と探求社」と「クエストエデュケーション」であった。探究学習で、主担になった教師が苦労するのは、次の4点である。
①計画の立案
②毎時間の教材の作成
③外部機関との連携
④教職員への研修及び意識付け
教育と探求社の教育プログラムは、この4点すべてにおいて準備されており、教員は担当者との相談で「如何に学校の現状に合わせて修正していくか」という作業を行うことになる。ゼロから生み出すのではなく、あるものを修正していくのであるから、その負担感は格段に下がる。そして、教育効果はとても大きい。教育プログラム自体に「主体的・対話的で深い学び」が組み込まれているので、生徒たちは自然に実践していく。
 更に、探究学習を経験した先生方は、「これが探究学習か・・・」という経験を積むことができるので、次へのステップに踏み出すことができるということになる。ゼロからプログラムを産み出すことができる「スーパーティーチャー」がいる学校はこんなことをしなくても良いだろうが、どこの学校にも「スーパーティーチャー」がいるわけではない。どちらかと言えば、いない学校のほうが圧倒的に多いのだ。この状況で、合田氏の提唱するコンピテンシーベースの教育を実践しようとすれば、外部すなわち教育産業の手を借りて、できる限り教員負担を少なくして実践することが求められる。この経験を生むことで、今までコンテンツベースの教育しか受けてこず、実践もしてこなかった教員の再教育も行われるのではないかと思う。

 如何だろうか。合田氏の意見に賛成の人も反対の人も、校内だけで議論をしていても溝が深まるばかりである。大胆に外部の教育産業を導入してみてはどうだろうか。


コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

PAGE TOP