ノモンハン事件ー「失敗の本質」はここにある


 やっと「ノモンハンの夏」(半藤利一著)を読み終えた。なかなかの力作であるにも関わらず、読むのがしんどかったというのが正直な気持ちである。その原因は、半藤氏にあるのではない。題材であるノモンハン事件があまりにも馬鹿らしい戦争であり、その馬鹿らしさの中での犠牲者が、戦史に残るほど多大であるという点に、読破することのしんどさがあった。このノモンハン事件の馬鹿らしさは、関東軍参謀本部に勤める末端の参謀であった辻正信に起因する。彼については、後ほど記述するとして、この「ノモンハンの夏」は、単に満州を舞台に書かれているのではなく、世界的な視点で東京(昭和天皇・日本陸軍参謀本部・陸海軍)、ベルリン(鷹の巣山荘のヒットラー)、クレムリン(スターリン)で展開される日独伊三国同盟批准に向けた動きと、独ソ不可侵条約の締結に向けた二人の独裁者の動きとが連動されて書かれている。そのため、ノモンハンでのソ連軍の大攻勢が意図するところも十分に理解できた。それ故に、ソ連軍を軽視(どちらかと言えば日露戦争勝利による軽侮)していた関東軍参謀本部の夜郎自大が浮き彫りにされている。半藤氏も、このノモンハン事件を文字にするのはつらい仕事であったと思う。しかしながら、司馬遼太郎氏が書かなかった分、「自分がやるしかない」と考えた半藤氏の使命感が行間に滲み出ている名著と言えるだろう。

 データだけで見ると、このノモンハン事件は以下のような犠牲になった。
出動人員:58925人 戦死:7720人 戦傷:8664人 戦病:2363人 生死不明:19768人
である。これは第二次ノモンハン事件に関するデータであり、本来なら第一次ノモンハン事件や航空隊の犠牲も付け加えなければならないと半藤氏は指摘する。事件終了後の連隊長を中心とした処分(多くは卑怯者扱いされたうえ自決の強要)も加えると、その犠牲はさらに増える。特に中心的に戦闘した第二十三師団に限っていえば、損耗率が76%にまで達する。因みに日露戦争の遼陽会戦の死傷率が17%、奉天会戦が28%、、ガダルカナル会戦の死傷率が34%である。この数値が、関東軍の凄まじいばかりの敗北と悲惨な犠牲をすべて物語っている。(「ノモンハンの夏」p442~引用)

 さて、辻正信である。この男、発言や本人の日記などを読むと、アメリカ前大統領のトランプに似ている。常に自分は正しいと思っているし、間違わないと思っている。自分の出した作戦がうまくいかなかった場合は、現場の責任にするか、「それほど敵が強いとは思わなかった」と弁明する輩である。トランプによく似ているではないか。参謀ならば、敵の勢力や動向をできる限り正確に把握したうえで、作戦を立案するのが当たり前ではないか。それを「そんなことはわからなかった」と放言する辻の感覚がわからない。

 この後、ノモンハン事件に関与した者が処分されていくが、辻は現場に左遷された後、すぐに陸軍参謀本部に移動になる。関東軍参謀から大本営への栄転である。これが当時の日本陸軍の体質なのだろう。参謀本部でもこのノモンハン事件について研究が行われたが、その研究は「近代戦における敗北」という捉え方ではなく、「局地的な紛争」という捉え方に終始したため、なんら研究の成果が得られなかった。陸軍の体質が変わらないまま、日本は太平洋戦争に突入し、それこそ同じ轍を踏むことになる。失敗の本質は、「ノモンハンにあり」と言えるだろう。


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