「終戦の日」に思うことー多角的多面的視点の重要性


 8月15日の今日は、78回目の「終戦の日」だ。小さいころからの疑問だった。日本は戦争に負けたのに、なぜ「敗戦の日」とせず、「終戦の日」と名付けたのか?敗戦を認めたくなかった思いが「終戦」という言葉になったのか。それとも、戦争の惨禍に苦しむ国民の気持ちの中に「やっと、戦争が終わった・・・」という気持ちがあったのか。それならば、国民に支持されない戦争で国が勝利することなどありえないと思う。なぜ「終戦の日」なのか。この言葉に込められている意味をもう一度考え直すことも大切なことではないかと思う。

 さて、今日近畿地方には台風7号が上陸し、外は強い雨風だ。いつも読んでいる読売新聞を読み始めた。やはり気になるのは、この「終戦の日」に日本を代表する各新聞社はどんな主張を展開するかだ。雨の中、コンビニまで新聞を買いに行った。各社の主張を読み比べてみた。主張の見出しは以下のようになっている。

読売新聞・・・ウクライナが示す平和の尊さ 抑止力強化が侵略を未然に防ぐ
産経新聞・・・首相は核抑止の重要性語れ 悲劇を繰り返さぬために
朝日新聞・・・自由を「つかみかえす」とき
毎日新聞・・・連帯の力が試されている

である。見出しが示すように、読売・産経は防衛力の強化を主張の底流に、国際安全保障環境の悪化に対して危機意識を述べている。産経に至っては、この8月6日・9日に述べられた「核抑止破綻論」に対して、真っ向から批判を展開している。その一方で、朝日新聞はいまいち何が言いたいのか不鮮明な主張である。だがよく読むと、言いたいのは、日本の「自由」というのは、皮肉にも連合国に対する敗戦でもたらされたものであるが、現在は投票率も国政選挙で50%前後と、権利の上に胡坐をかいているのではないか、もう一度「自由をつかみかえさなければならない」という政治参加の呼びかけである。毎日新聞は、ウクライナ戦争を止めることの難しさに言及しつつも、岸田政権の防衛力強化について、フィリンピンで終戦を迎えた方のコメントを載せ、「ざわざわした感じは、日本が戦争を始めたときとそっくり」と日本の今の防衛力強化に警戒感を示している。皆さんは、どの位置に立たれますか?今日は、そのことを考える日ですね。

 さて、以下、私の考えを述べてみたい。長くならないために箇条書きで書く。
(1)もし、次の戦争が起こるとすれば、先の大戦のように日本が他国に攻め入る戦争ではなく、日本を守る戦いになる。そのような戦争になるのは、日本国憲法のおかげでもある。
(2)戦争の危険性は、昭和よりも平成よりもこの令和の時代により増している。明らかに中国は台湾進攻を意図し、ロシアは北方領土で軍事訓練を行い、中ロは共同で軍事訓練をしている。北朝鮮は、核兵器開発を進め、核を乗せた弾道弾ミサイルの開発に突き進んでいる。この日本を取り巻く地政学的な意味を、国民は再度認識すべきだろう。
(3)この意味において、日本は「反撃能力」も含め、防衛力を強化しなければならないが、果たして日米安保だけで日本は守られるのか。日本・アメリカ・韓国・台湾・フィリピン・インドネシア・タイ・シンガポールなどの「法の支配と力による現状変更を阻止する」という理念に賛同する東南アジア諸国との集団安保体制の構築が求められるのではないか。今こそ、最強の軍事同盟と言われるNATOの意味をしっかりと理解することが必要だ。これには、日本と各国の信頼関係と外交力が必要になる。
(4)こんな集団安保体制を構築したら、日本は戦争に巻き込まれるという日本人が多数いるが、NATOになぜ東欧諸国がこぞって参加したがるか、もう一度考え直した方が良い。NATOに加盟しているからこそ、あの小さなバルト三国もロシアの侵攻を阻止しているのである。もし、NATOに加盟していなければ、バルト三国内の「ロシア人保護」の名目で、すぐにでもロシアの軍隊が国境を超えるだろう。ソ連の時代から常にあの国は、その「実績」を積み上げてきた。
(5)このような動きを日本が行えば、東アジアの緊張感は増すだろう。ということは、ロシアも中国も北朝鮮もこの動きを嫌がっている証拠であり、戦略的には正しいのだ。しかし、これでは緊張が増すばかりで戦争の回避には至らない。日本がすべきことは、「世界で唯一の核被爆国」として、全世界に向けて「すべての核保有国に対して核兵器の使用を阻止する」という動きをすることである。そのためにも核兵器廃絶条約の批准国会議に、オブザーバーで良いから参加し、核兵器の被害の実相を訴えるべきである。広島出身の岸田首相であるからこそできることだろう。さもなければ、G7をヒロシマで開催した意味は薄れる。
(6)更に、日本国民は「国際平和のための行動」を起こさなければならない。政府の義務として、「国民の生命と財産」を守るために防衛力強化に力点を置くことは必要である。しかし、そのことと同時にウクライナ戦争での核使用阻止と即時の停戦、そしてロシア軍の撤退を求めた運動を世界中に巻き起こさなければならない。昔、ヨーロッパに中距離核ミサイルが配備されたときのように、防衛力強化とデタントを同時に進行することが必要なのだ。
(7)この運動の発端を作ってくれるのは、やはりヒロシマ・ナガサキではないかと思う。今こそ、全世界に向けて、世界同時に立ち上がることを呼び掛ける必要がある。9月21日(木)の国際平和デーの日こそふさわしいのではないだろうか。そして、この世界的なうねりが、情報統制を引いている中露北の国民にも伝わることが必要だ。特に、多くの兵士が亡くなっているロシア国民に響くうねりが必要だ。そうすれば、国民の支持を失った戦争を、たとえプーチンでさえ継続するのは難しくなる。やはり、ウクライナ戦争を停戦させる力は、ロシア国民なのだと思う。今もってプーチン支持を打ち出すロシア国民だが、この戦争を終わらせるのはロシア国民だ。そのロシア国民を心を動かす全世界的な行動が求められている。

以上が私の考えていることである。この考えの中には、最初に紹介した4紙の新聞の意見が取り入れられていると思う。どれか一つのスタンスで物事を考えるのではなく、多角的に多面的に物事を考えたい。
 最後に、以前紹介した「日本の戦争はいかに始まったか」(新潮選書)を読み終えた。内容をどこまで理解できたかはわからないが、今までの戦前の日本のイメージ(それは帝国主義路線を突き進み、無謀な戦争を始めたというイメージ)と少し違う感じを受けた。また、このブログで感想を述べたい。


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