保護者説明会を学校はなぜ開く?

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 夏休み早々に痛ましい事故が発生した。福岡県で6年生の女子児童3人が川で溺れ、死亡したのである。日頃、どれだけ川で遊んでいたか知らないが、これが川遊びの危なさなのである。この6月から7月に発生した豪雨により川底の様相が一変するのである。前に川に入って大丈夫な所も、ずっずっずっと深くなっており、川の流れに足を取られるということはよくあることだ。私も何度も小さいころから経験している。前にも書いたが、いつも小6の男子が地域のリーダーを務めている地域なので、低学年の子と川遊びするときは、低学年の子に厳しく注意する、「ここまで来るな!」と。いつもは優しい兄ちゃんの厳しい声に、「ほんまにあかんのや」と思って、川岸近くで遊ぶようになるのである。また、流れる水の色で深さを予想する術も自然と身に着けるのだ。亡くなった児童は、水深3mのところで発見されたという。ニュースを見たところ、それほど大きな川ではない。ただ、支流の合流地点なので、こういうところは川底の様子が極端に変わりやすくなる。どれだけ、自然と遊んでいるか、その経験知を積んでいるか、家でゲームしている時間、SNSをしている時間が長い今どきの子どもには、その経験知が積まれていなかったのかもしれない。

 こういう話で解釈される事故ではないのか?なのに、なぜ小学校の校長が記者会見し、ましてや事故の翌日に保護者説明会をするのか。理解できない。確かに、学校のクラスメートである。しかし、川に遊びに行こうとなったのは、この友達同士であり、学校が川遊びには関わっていない。いわゆる学校管理下の事故ではないのである。それなのに、保護者説明会をする。まるで、学校に責任があるかのようである。この事故、あまり誰に責任があるとか言いたくないが、第一義的には、川遊びに行った子ども達の保護者にある。自分の子どもたちがどれほど川遊びに精通しているか、判断するのは親の責任であろう。危ないと思ったら川遊びを中止させるか、誰かが付き添わなければならない。第二義的には、地域のコミュニティである。この間の豪雨により、川の様子がどうなったか、日頃から川遊びしている子ども見かけるならば、「豪雨のあと川の様子が変わっています。深みに行かないように」ぐらいの看板は最低必要だろう。地域のコミュニティがどこまで形成されていたかはわからないが、地域の自治会があるなら長老たちには注意喚起をしてほしかったと思う。
 しかし、第一義的には保護者の責任が圧倒的に大きい。例えば、保護者説明会などで「学校は川遊びについてどのように指導しているのですか?」というような詰問調の質問が出たならば、私なら「そこまで学校に責任を負わせるのか!」と声をあげたくなるだろう。どこまで、学校に責任を負わせようとするのか。こんな風潮だから、教員の仕事がいくらでも増えるのである。夏祭りが開催されたら、教員はパトロールに駆り出される。今まで、何の疑問もなくパトロールに参加してきたが、「それは教員の仕事ですか?」という疑問の投げかけがこれからは必要だ。

 この小学校の校長先生、そしておそらく指導した教育委員会の教育長!今回の事故に校長の記者会見や保護者説明会は必要ですか?教員の家庭訪問は必要ですか?教育行政が、「心の不安定な子のための相談窓口」を設置するだけで教育の役割は果たせているのではないですか?これは悪しき前例になる。これ以上、教員の仕事、学校の仕事を拡大することはやめてほしい。


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