何となく軽い「豊臣兄弟」


 2026年の大河ドラマ「豊臣兄弟」が始まった。「どうする家康」以来の戦国物として、期待も高いようだ。1月4日の放送以来、3回目を1月18日に迎えたが、どうも違和感がある。それは藤吉郎にしろ、小一郎にしろ、生き方が軽いと思ってしまうのだ。

 まず、藤吉郎が家を出て、武士をめざす動機がよくわからない。突然家に帰ってきて、弟小一郎を「家来になれ」と誘うのだが、3回目の放送ではその理由が「親父の仇打ち」というのである。どうもピンとこない。このストーリ展開が、第4回の桶狭間の戦いでどう結びついていくのだろう。
 さらに、藤吉郎の「調子の良さ」があまりにも極端で、鼻につく。上司にへつらい、小一郎をすぐに裏切る。へらへらと信長にも媚び諂う。こんな男に何の魅力も感じない。「稀代の人たらし」と言われた秀吉だが、今のところは、へらへらと媚び諂うサラリーマンと変わらない。筋が通っていないのだ。
 もう一つ言うと、秀吉を池松 壮亮に充てたのもミスではないかと思うのだ。彼は、今の秀吉のような媚び諂う役は合わない。静かに考え、深く思考するシリアスな役が似合うのだ。役者だから役作りをするのは当然とはいえ、本来池松が持っている資質とは大きく違うために、彼が「無理をしている」と映ってしまうのだ。だから、画面の藤吉郎に違和感を持ってしまう。

 さて、小一郎である。百姓をすることで家族を支えていたのだが、村が野盗に襲われことで、侍をめざし故郷中村を捨てることになった。幼馴染を野盗に殺され、「俺たちは何なんだ!」と怒りを爆発させるのが第2回だったが、これで「百姓を捨てる?」と思うのだ。例えば、百姓を続けながら村の自衛を強くするという選択もあったはずだ。そんな選択がまるでなかったように、藤吉郎と一緒に清須に向かう。ちょっと単純すぎないか?戦国時代の自営農は、なかなか強いのだ。当時、野盗から村を守るために、自営農は武装農民だったのだから。半農半武の人たちだったのだ。侍をめざす理由が、単純すぎないかと思ってしまう。

 これは余談だが、第2回で村が野盗に襲われ、さらにそれをより強い野盗が襲うシーンがあった。びっくりしたのは、その野盗が火縄銃を持参していたことだ。鉄砲伝来が1543年である。時代は、桶狭間の戦い直前だから、1560年以前。確かにこの間、鉄砲は戦に使用されているが、まだまだ本格的な武器として揃えるまでには至っていない。戦の最初で鉄砲の大きな音が相手を脅す程度の使用である。また、鉄砲は高価な武器でそう簡単に手に入るものではない。「麒麟が来る」でも光秀が堺で鉄砲を求めるシーンが出てきたが、かなり貴重な扱いだった。尾張という田舎、さらに田舎の中村の野盗が、本当に鉄砲を持っていたのだろうか。

 「豊臣兄弟」、まだまだ始まったばかりだが、へらへら藤吉郎が難題に立ち向かい、知恵を絞りだす小一郎とのタッグで出世してくのだろうが、重厚感が求められる。何せ、戦国というテーマ設定なのだから。


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