7月4日読売新聞社説に物申す


 7月4日読売新聞の社説に「民主主義のコストを忘れるな」と題した社説が掲載された。主張は、「議員定数が過剰であれば削減すべきだが、削減自体が目的となってしまったら、多様な民意を政治に反映させ、行政をチェックするという議会の機能が損なわれよう」という冒頭の内容に集約されている。主にやり玉に挙げられているのが、大阪市議会の議員定数の削減である。大阪維新の会が主導し、自民党も公明党も賛成して、議員定数の削減が成立した。主に、大阪維新の会や日本維新の会の看板政策である「身を切る改革」への批判である。
 一市民としてこの主張に反論する。冒頭の文言は、一般論としては正しい。ただ、日本の国、地方公共団体の政治風土を見たときに、果たして議員定数を削減するのが良いのか、それとも維持・定数増するのが良いのかと言えば、定数減する方が良い。なぜなら、選挙で民意を反映しているからだ。この民意の中には、議員は何の仕事しているのかという大きな疑問が、有権者にあることを指摘しておきたい。色々と議員は仕事をされているだろうが、市民と顔を合わせるのは、選挙が近づくときと、冠婚葬祭や地域のイベントで顔を売りたいときである。実際に議会のチェック機能で何の成果を挙げているのかは、わかりにくい。私は、駅で配られるチラシは、議員報告、議会報告は小まめに読んでいる。それでも、「何の仕事をしているのか?」と疑問に思うのである。まだ、議会報告をする議員はましだが、何も報告しようとしない議員も少なからずいる。そのような議員に高給の議員報酬を払う必要はないのではないか。議員には議員報酬に見合う最低限の仕事を条例などで明記すべきだと思う。議員によって働く程度が全然違うのである。
 さらに、日本の今までの政治状況で「議員≒汚職」というイメージが定着してしまっている。「こいつらは、金もうけのために議員になったのか!」と思うのも無理からぬ事件がやたら起きた。そして、事件を起こした議員に対して政党の対応は甘い。身内に甘いのである。このような政治風土に対して、維新の会が「身を切る改革」を打ち出したことに、有権者は新鮮さを感じているのではないだろうか。また、維新の会は、不祥事を起こした議員に対しては、厳しく対処する。ある意味、そこまでやるのかというようにさえ思うほどだ。誤解を恐れず例を挙げると、まるで幕末の新選組の鉄の規律のようである。「背中を切られた者は、敵に背を向けた卑怯者として切腹」という鉄の規律を持つ新選組をイメージさせる。こういう内輪にも厳格に対処する維新の会は、今までの政党とは一線を画すと有権者には映るのである。
 読売新聞の社説担当の方、有権者と乖離したこのような「上から目線」の社説、つまり、「お前たちは、民主主義にはコストがかかることを知らないだろう!ちゃんとこのことを理解しないと、えらいことになるぞ!」という上からの社説は、まるで朝日新聞の社説だ。気を付けた方が良い、朝日新聞のように、世の中の民衆を啓蒙してあげているという奢った姿勢にならないようにしてほしいものだ。


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