「『あの戦争』は何だったのか」という本


辻田 真佐憲氏の「『あの戦争』は何だったのか」を読み終えてから1か月が過ぎようとしている。中々考えさせられる本だ。
第一章 あの戦争はいつはじまったのか――幕末までさかのぼるべき?
からして、なかなかの問題提起である。本にも紹介されていたように、「あの戦争」の呼び方もいろいろある。太平洋戦争はもちろん、大東亜戦争、15年戦争などだ。それぞれの呼称により、「あの戦争」の捉え方は、大きく違っている。
 太平洋戦争は、もちろん敵国だったアメリカの呼称だ。大東亜戦争は日本の呼称である。しかし、この大東亜戦争も、昭和16年から始まった日米開戦だけを指すものではない。中国大陸での事変も含めた15年戦争という呼び方もある。

 考えさせられたのは、昔東条首相が訪問した各国を著者が訪問したレポートである。著者の目的には、東条首相に対する各国の捉え方を含め、「あの戦争」を各国がどのように捉えているのかという事にある。大東亜共栄圏をめざした日本軍の進駐、そして日本政府による統治政策をそれぞれの国の立場から展示している博物館を巡る旅だ。著者も述べているように、改めて考えさせられたのは、日本にはこのような「あの戦争」に関する総括的な国の施設が無いという事だ。という事は、戦後80年経っても、日本では「あの戦争」をどのように捉えるかという総括ができていないという事である。この本の意義は、日本と日本国民に対して、改めて「あの戦争」について考えるべきであることを問うているところにあるのではないか。

 私は、1960年生まれ。戦後15年に生まれている。「あの戦争」の呼称は、太平洋戦争と呼ばれるのが普通であり、南京大虐殺も行われたことに疑問を持たず、日本が「あの戦争」によって、アジアの人びとに対して多大な迷惑をかけてしまったと認識している。いわゆる自虐史観の中で成長した。

第二章 日本はどこで間違ったのか――原因は「米英」か「護憲」か
第三章 日本に正義はなかったのか――八紘一宇を読み替える

と読み進めていく中で、もう一度帝国主義時代の中で、日本の取るべき道は何だったのかを考えさせられた。エネルギー資源に乏しい日本にとって、戦後の国際協調しか生きる道は無いと思うのだが、果たして戦前の帝国主義時代にそのことが可能であったのかどうか、日本人は今の日本の未来を考えるうえでも「『あの戦争』は何だったのか」という事を捉えなおさなければならないだろう。


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