10月15日の帰宅途中に、父親が入居している施設から電話があり、父親が部屋で転倒したという連絡を受けた。救急を呼ぶほどではないという事だが、一応受診した方が良いという施設の専属医の話だったので、帰宅後車で施設に向かい、父親を南大阪医療センター(元国立南大阪病院)に連れて行った。
父親は、転倒して腰と頭を打ったらしい。車に移動するときも左足を動かすと痛がり、自分では動かせない。しかし、どこかがビリビリ痛いというわけではなく、太ももが全体的に痛いらしい。酷い打ち身なのかと想像し、受診した。診察の結果、なんと左足の付け根が骨折していることが判明。老人に起こりやすい骨折で、手術をしないと3か月たっても歩けないという事がよくあるというではないか。有無をいう余地もなく手術と決まった。
そうなると、インフォームドコンセプトと入院の手続きである。どういう手術をするのか、そしてどのような危険性があるのか、そして輸血の可能性、特殊な体液の使用の可能性、それぞれに説明と同意書を書かなければならない。更に、入院の手続きである。これがまた詳細に父親の様子を書かなければならない。それが夜間受付の診察室での話だ。これで、入院できると思い、病棟まで行ったらまた同じことが待っていた。パジャマはどうするか、おむつはどうするのか、アレルギーはないか、徘徊はないか、耳は聞こえるのか、認知症はないか、様々なことを聞かれる。翌日の手術は、午後か夕刻、朝の9時過ぎに電話を入れるので待機してほしいという事で、やっと手続きは終わった。家に帰ると、10時半である。やっと夕食だという、思いもよらない仕事終わりの夜だった。
翌日、11時から麻酔医との話があるという事なので、10時50分に来てほしいという連絡が、9時20分にあった。おむつや歯ブラシや箸などを持ってきてほしいというので、先に施設に寄って、荷物を持参した。病院に着くと、雨のせいか、駐車場が満杯。駐車場内をぐるぐる回りながら、駐車スペースを探すこと、30分。やっと11時に病棟に上がれた。遅れて申し訳ないと思って焦っていったが、ナースステーションに行くと、指示されたのは待機。30分ほど待って、やっと麻酔医のところへ移動。父親の荷物は、手術後は、ICUに入るという事で、病室には置くことができず、両手に荷物を持っての移動だ。
麻酔医のところに行くと、また麻酔に関するインフォームドコンセプトである。看護師から、書類を読め、動画をみろと言われ、その上で、同意書にサインである。それが終わると、麻酔医のところに呼ばれるまで、待機。やっと麻酔医に呼ばれたかと思うと、また、同意書の確認である。手術については、前日に聞いていた話とほぼ同じ内容だった。
麻酔医との話も終わり、手術の時間を聞くと、2時間ぐらいだという。この話が終わったときには、12時を過ぎていた。1時には、病棟で待機してほしいと言われたので、急いで昼ご飯を食べる。12時半には病棟の待機室に戻ったが、結局声がかかったのは、2時。これから手術室に移動するので、一緒に来てほしいと言われ、父親と一緒に手術室に移動。ここでも、同意書の最終確認である。手術室の看護師から記入した同意書の最終確認をされた。院内携帯電話(PHS)を渡され、病院内待機を言い渡された。
16時半ごろ、PHSが鳴り、手術が終了したので、病棟に来てほしいと言われる。病棟のナースステーションにPHSを返却してほしいと言われたので、「上野です」と声をかけたが、誰も対応しようとしない。仕方ないので、10分ほどナースステーションの前で何も言わず立っていた。昼勤から夜勤に代わる引き継ぎで忙しいのだろうと思って待っていたのだ。しかし、誰も対応しないのはどうなの?と1日の疲れとストレスで段々イライラしてきたら、廊下の向こうから歩いてきたナースが、やっと声をかけてくれた。それから待機室で待つこと30分以上。やっと、父親が主治医と一緒に上がってきた。主治医から、レントゲン写真を渡され、「手術はうまくいきました。明日から歩く練習をしていきます」と言われ、父親はそのままICUに入っていき、看護師から待機室で待ってくださいと言われた。
待つこと1時間以上。やっと看護師から声がかかった。看護師からは、「面会しますか?」という一言。「父親の様子はどうなのですか?」と聞き返すと、「眠っておられます」というので、起こすのも悪いと思って、「それならいいです」と返答した。その後、看護師との間で、少しの沈黙。「これから私はどうしたらいいですか?」と尋ねたら、「もう、帰っていただいて結構です」というではないか。心の中で、「はあ~?」という声が聞こえた。私は、てっきり主治医から手術の状況と、術後についての話を聴けると思っていたのだが、それも無いようだ。結局主治医と話をしたのは、レントゲン写真を渡された時で、10秒も話をしていない。「もうええわ」と思い、「それでは帰ります」と言って、病院を後にした。
15日夕刻から16日にかけた父親の手術の一件。病院側が、インフォームドコンセプトをするのは分かる。もちろんしてもらわなければならない。そして、その上の同意書も必要だろう。しかし、その同意書が、宿直医、麻酔医合わせて何枚書いただろうと思うのだ。そして、今どういう状況で、何のために待っているのかの説明もない。手術が終わるまで待つのは当然だろう。しかし、それ以外の待ち時間がやたら長い。このストレスと疲労に比して、患者の家族が聞きたい病状と手術の結果の報告が、レントゲン写真1枚かと思うのだ。話をする機会さえ設けられなかった。
母親が脳梗塞で入院した時は、もっと丁寧な対応だった。確かに、脳梗塞と大腿骨の骨折では、病状に差があるのだろう。だが、今まで歩行器を使って歩いていた父親が、これからも歩くことができるようになるのかどうか、それにはどれくらいのリハビリと日数がかかるのか、家族としては重要な関心事ではないか。同意書、待ち時間という負荷に対する家族の利益があまりにも少ない。こんな状況で良いのか、あれだけ書かされた同意書も、何かあったときに病院を守るために執拗に書かしたのかと、邪念を生じさせてしまう対応だった。
コメントを残す