いまでこそ「イクメン」という言葉まであるが・・・


 読売新聞の教育ルネサンスに「先生」シリーズが始まっている。6月29日で4回目だ。6月29日は、大阪府の小学校の先生、子育てとの両立を頑張る先生の紹介である。大量退職、大量採用により、若い先生の割合が増えている。記事によると、産休・育休から同時期に復帰した「ママ先生」は同じ市で5人にもなるとのことだ。このように同じ境遇の先生が、複数いると相談もしやすいし、孤立感も薄まる。良いことだと思う。
 記事を読みながら、昔のことを思い出した。長男が生まれて、保育所に預けることになった。保育所が私の学校の近くだったので、私が送迎することになった。初めて担任を持つと同時に、子どもの送り迎えという状況になった。記事の先生のように、朝は慌てて学校に駆け込むというような毎日だった。まだ朝はましである。問題はお迎えだ。一応6時までに保育所に行けばよかったのだが、6時に迎えに行こうと思うと、5時半には学校を出なければならない。これ辛かった。まだイクメンという言葉もない、1980年代のことである。それも、男性教師が子どもの送迎なのだ。そんなことをしている男性教師は、一人もいなかった。孤立感は半端ではなかった。仕事が少し遅くなって、6時を過ぎると、もう長男だけが保育所で待っている。待ち疲れて子どもは指をくわえて、遊ぶこともせずにじっとしている。この姿を見たとき、思わず涙が出そうになった。こんな日の翌日には、ほぼ発熱してしまう。どちらかが学校を休まなければならないということになる。
 一番、つらかったのは、文化祭前だ。クラスの企画で遅くまで生徒たちが残ってがんばっている。しかし、保育所に迎えに行かなければならない。生徒は冗談で、「俺らより、子どもが大事やもんな!」と声をかけてくる。冗談とは言いながら、心にグサッと刺さった。初めて担任を持った3年間、いろいろ生徒のために仕事をしたくてしたくてうずうずしていたが、「今は、仕事ができない時期なのだ。他の教師のようには仕事をできない」と諦めることに努めた。しかし、諦めきるまで、2年かかった。20代の教師生活は、ホントに辛かった。
 しかし、この経験は、教頭や校長という管理職になって、自分の宝物になった。妊娠した先生や小さな子どもがおられる先生は、100%の仕事をすることができない。出産すれば、産休講師・育休講師を探さなければならないのも、管理職の仕事だ。管理職の中には、「また、講師を探さなければならないねん」と不満げに語る人もいた。子どもが熱を出せば、授業を誰かに任せて帰宅しなければならない。本当に「後ろ髪を引かれる」想いでの帰宅である。こんな状況に置かれた先生たちに、私は心の底から次のように声をかけることができた。口先だけではなく、真実の言葉である。

「お子さんが、熱を出して帰らなあかんのは辛いよね。だけどね、先生、お子さんにとってお母さん(お父さん)は、あなた一人しかいないねん。クラスの生徒たちには、いっぱい学校の先生がおる。こういう時は、ちゃんとお子さんのそばに居ったって。学校は、組織でカバーできるから。」

こういう風に声をかけてきた。そうすると、涙を流して「ありがとうございます!」という若い先生もいた。教師という顔、母親(父親)という顔、両方とも未経験で未熟な中で、相当追い詰められていたのではないかと思う。「子どもにとっては、母親(父親)はあなただけ」という言葉はとても大切だと思う。


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