「怪物」に物申す!

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 カンヌ映画祭で映画「怪物」が脚本賞を受賞した。取り上げられているテーマが、学校を舞台にしたいじめである。このいじめ問題を、児童の母親の視点、担任の視点、そして児童たちの視点から描いたのが「怪物」である。まるで現代版「羅生門」のようである。映画もヒットしており、この映画を小説化した文庫本も本屋の店頭に山積みされている。注目されているのだ。だからこそ、学校現場に関わるものとしては、この映画の内容を許せない。断じて許せない。なぜか?「学校は、いじめを隠ぺいするもの」と世の中に流布しているからだ。
 いわゆる「ネタばれ」になってしまうので、映画を見たり、本を読んでからという人は、ここからは読まないでほしい。私は映画を観ていない。小説を読んだ。その方が、何を意図して描かれているのかがわかりやすいからだ。最初は、母親の視点で話が始まる。子どもの湊の様子に違和感を感じるところから、母親は「いじめ」を想像してしまう。そしてそのいじめは、あろうことか担任の教師から行われているとわかる(後に、これは湊のウソと分かるが、今回私が主張したいこととは深く関係しない)。母親は、学校に事実確認を求めに行く。腹を立てながらも、あくまでも事実確認である。ところが、2回目の訪問で学校を訪れると、学校の対応は事実を説明することもなく、ひたすら謝罪するのである。担任にも謝罪をさせるのであるが、担任はまるで謝罪に気持ちが入らない。なぜなら、担任は「湊が別の生徒(依里)をいじめている」と思っているからだ。だから、謝罪にも誠意がこもっていない。当然だろう。管理職から謝罪を強要されているからだ。学校の対応にまるで納得できなかった母親は、益々学校への不信感を募らせ、事態は思わぬ方向に展開していくという話である。
 まず、問題を整理したい、学校の校長経験者として。保護者から担任の対応に問題があるので、事実関係を確認してほしいという要望が寄せられた。問題提起の内容は、明らかに「不適切な指導」と思われる内容である。校長・教頭は、まず該当教員に詳細な聞き取り調査を行う。事実確認である。今回で言えば、鼻への接触も故意ではなく、「湊の頭は豚の脳」などという発言もないと担任は言うだろう。同じ学年の主任や周囲の教師にも聞き取りを行う。おそらく、母親が訴えるような事実は出てこない。逆に、担任は「湊がいじめの加害者である」と訴える。ここで、校長・教頭は、「どうも母親の訴えることは違うのではないか・・・」という視点で問題を整理しなければならないことに気づく。なぜなら「いじめ防止対策推進法」では、
「学校は、前項の規定による通報を受けたときその他当該学校に在籍する児童等がいじめを受けていると思われるときは、速やかに、当該児童等に係るいじめの事実の有無の確認を行うための措置を講ずるとともに、その結果を当該学校の設置者に報告するものとする。」
と定められているからだ。担任が、湊のいじめを認識しているならば、その事実確認を行うべきだ。ただ、この事実確認は、それほど簡単ではない。今回のケースでは、湊に聞いても依里に聞いても真相は話さない。周囲の生徒に事実確認すれば、「そんな事実はない」というだろう。しかし、何かしら5年2組にはあるかもしれないと考えるのが妥当だ。そうでないと、湊の奇異な行動の説明がつかないからだ。そうすれば、5年生全体に対して「いじめを見たことはないか」という一般的な問いかけを行うしかない。そうすると、大翔を中心としたいじめグループの情報が上がってくるはずである。
 私がこの学校の校長ならば、以上のような行動する。そのうえで、保護者への説明を行う。いきなり、謝罪をして何とか保護者を丸め込もうなどとはしない。そして、「いじめ防止対策推進法」が制定されてからは、学校はこのような対応をとっているはずだ。それにも関わらずである。この「怪物」には、あまりにもステレオタイプで、デフォルメされた形で、「学校はいじめを隠ぺいするもの」という視点で描かれている。
 文部科学省をはじめ、全国の学校関係者は、この「怪物」に描かれた「いじめを隠ぺいする学校」というものに、抗議すべきだ。そうでないと、「やっぱり、学校はいじめを隠ぺいするのだ」と世間は認識してしまう。このような誤った認識が広まることによって、保護者やマスコミは「学校は真実を隠している」という姿勢でいじめに対処してしまう。そのことで、どれだけ問題の解決を困難にしてしまうか!この映画の関係者はわかっているのだろうか!


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