8月31日の読売新聞にデジタル教科書に関する中教審の議論を紹介する記事が掲載されていた。デジタル教材を教科書として格上げしようという議論である。現在想定されているのは、紙の教科書、デジタル教科書、そして両者を併せたハイブリッド教科書である。この間、読売新聞はデジタル教科書の導入に対して、慎重及び反対の姿勢を示している。私も同様の見解だ。
慎重であるべき、もしくは反対の理由は次のとおりだ。
第一に、最も重要なことは、デジタル教科書の活用で学力が向上したというエビデンスや教育学的な知見が無いこと。
第二に、その上、デジタル端末を利用することで、子どもの負担が増すこと。負担が増すことだけではなく、子どもの授業への集中に難があること。
第三に、このような問題が発生しているので、デジタル先進国では「紙への回帰」が起こっていること
更に最近発表された学力調査で、大幅に学力の低下が示唆され、その原因として、スマホなどの利用時間が増えていることが指摘されている。自由時間はスマホ、授業時間はデジタル端末という状況に、子どもを置いて良いのかというのが、第4の理由である。
しかし、このようなデジタル教科書にまつわる負の要素が、真剣に中教審で議論された形跡はない。なぜなら、関係する中教審の部会の委員のほとんどが、デジタル教科書推進派だからだ。本当は、審議会なのだから、賛成の意見も反対・慎重の意見も双方取り上げ、真剣な議論を展開しなければならない。そして、それと同時並行で学会等でも、議論を深めることが必要だ。この間、デジタル教科書反対の立場から、学者の意見は出されているが、それに対する反論を私は目にしていない。この中教審の進め方を見ると、「デジタル有りき」という匂いがプンプンする。
中教審は、文科省の官僚が進めたい教育政策にお墨付きを与えるための議論を昭和・平成としてきた。しかし、平成の終わりから、世の中は先が見えないVUCAの時代に突入している。この時代に何が求められるのかは、官僚が作ったペーパーにお墨付きを与えるだけの議論では十分ではないことは、自明の理だ。もっと、中教審で議論を戦わさなければならない。
このままデジタル教科書が導入されれば、先に例示した3パターンを地方自治の教育委員会が選定することになる。ある地域は、紙の教科書、違う自治体はデジタル教科書となることも起こりうる。統一することに越したことは無いが、バラバラでもいいのではないかと今は思っている。どの教科書を利用した自治体の学力が伸びたか、または伸びなかったか、壮大な社会実験が行われても良いではないか。毎年行われる全国学力学習状況調査で、エビデンスも得られるのであるから、それこそ賛成派の学者、反対派の学者が研究結果を発表し、大いに議論を行えばよいと思う。
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