野球というスポーツの特性


 お盆休みのとき、甲子園での高校野球を見る機会が多くあった。今まで、あまり疑問を持たずに野球を見ていたのだが、高校球児はバッターボックスに立つと、1球ごとに監督のサインを確認する。そして、サインで出された内容を忠実に実行しようとする。その姿は、自分の考えは無いように見える。まるで、決められたことを忠実に実行するロボットとまでは言わないが、要員のように見えるのは言い過ぎだろうか。

 これは、野球というスポーツの特性なのかもしれない。野球は、攻守がはっきりしている。守るべき時はしっかり守り、攻める時は攻めるだけである。だから、どのように攻めるのか、その作戦を考える時間がある。だから、監督からのサインを確認するのだろうが、ラグビーをやっていた私などは、現場に立っている選手が一番何が重要かを判断できるのではないかと思ってしまうのだ。だから、塁にランナーが出たら、バッターがサインを出せばいいじゃないかと思ってしまう。送りバントなのか、ヒットエンドランなのか、いちいち監督の指示を仰がなくてもいいだろうと思うのだが、素人の考えだろうか。

 というのも、サッカーやラグビーはフィールドにいる選手で、攻め方・守り方を決めている。相手側からボールを奪ったからといって、いちいち監督に指示を仰いだりしない。ボールを持った瞬間に、そしてボールを奪われた瞬間に、すべての選手が何をすべきかを判断するのだ。そして、一斉に動き出す。一応、サッカーもラグビーもフォワードとバックスという役割分担やフォーメーションはあるが、自分がどのように動かなければならないかを判断するのは、自分自身なのである。そういう意味で、野球よりは主体性があるスポーツのように思ってしまうのだ。ラグビーに至っては、監督でさえ観客席にいるのだから。最近は、無線でフィールドのコーチに連絡を取っているらしいが、それにしても監督の影響は野球に比べて格段に低い。

 こういうスポーツの特性からくる監督の重さ・軽さも、今回の野球強豪校の体質に影響しているのではないかと勘繰ってしまう。


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